プロローグ
「女優の仕事は終生好きになれなかった」、高峰秀子は生涯そう言い続けてきたが、その思いとは裏腹に日本映画史に燦然と輝く足跡を残している。
高峰秀子の映画作品を振り返ってみると、小津安二郎、木下惠介、成瀬巳喜男、豊田四郎など日本映画史に名を刻む監督作品に出演している。
高峰秀子の女優史は、そのまま日本映画史に重なる。
2014年の「キネマ旬報」発表の「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」では女優部門の1位となり、同誌の2000年発表の「20世紀の映画スター」でも、読者選出の日本映画女優部門で1位になっている。
5歳から55歳までの出演作品は400本近く、国内外の映画賞受賞数は、日本映画最多である。
松山善三・高峰秀子夫妻の養女である斎藤明美さん曰く、〝女優嫌いの大女優〟だったと。
だが、華やかなキャリアの裏では、義母との確執や多くの親族の生活を担うという過酷な運命を背負わされていた。
高峰がようやく自らの人生を歩き始めることができたのは1955年に木下惠介の助監督だった松山善三と結婚してからだった。
30歳までに結婚したいと漠然と考えていた高峰は、『二十四の瞳』の撮影中、木下監督から勧められて助監督である松山善三と交際を始めた。
1955年に結婚式を挙げると、高峰は妻として衣食住を切り盛りしながら、脚本家として、さらに監督業に進出した松山を公私にわたって支えた。
2010年に亡くなるまで、いつも「今がいちばん幸せ」ともらしていたという。
「私は結婚と同時に、家事を七分、仕事は三分と割り切って、大幅に仕事を減らしました。(中略)五分五分でやれば、どっちも中途半端になってしまう、ということが分っていたからこそ、私は仕事を三分に減らしたのでした」(「私はパリで結婚を拾った」(1979年)/『高峰秀子 夫婦の流儀 完全版』他に所収)
2024年は高峰秀子生誕100年に当たり、「高峰秀子生誕100年プロジェクト」としてさまざまなイベント、展示会、上映会などが実施されている。
10月5日には、鎌倉市川喜多映画記念館にて展示、上映、イベントによる特別展が開幕した。
本展では、女優・高峰秀子の偉業をたどると同時に、
「松山秀子」という妻としての日常も大きくクローズアップされている。
展示されているプライベート写真には、スクリーンで見せる顔とはまったく異なる松山善三の妻としての穏やかで幸福な表情が切り取られている。高峰秀子という女性の生き方が読み取れる意欲的な企画展である。
企画協力&画像協力=鎌倉市川喜多映画記念館