24.11.14 update

【特集】高峰秀子─日本映画史に燦然と輝く足跡と、結婚で得た穏やかな幸福


 オードリー・へプバーンなら『ローマの休日』、原節子なら『東京物語』と、スターには映画ファンの頭にポンと浮かぶ代表作がある。ところが、高峰秀子にはそんな代表作がない。いや、代表作がないという表現は正確ではない。代表作を選ぶことができないのだ。それほど数多くの名作、秀作に出演している。

 5歳で子役として出発し、『綴方教室』で主役に抜擢されたのが14歳のとき。最後の映画出演となった『衝動殺人 息子よ』まで400本近くに出た。出演作の監督を思いつくまま並べれば、木下惠介、小津安二郎、成瀬巳喜男、五所平之助、稲垣浩、豊田四郎、市川崑、増村保造と、圧倒的な顔ぶれだ。黒澤明の名前がないが、17歳で主演した『馬』は監督の山本嘉次郎が掛け持ちで忙しく、実質的にはチーフ助監督の黒澤が撮った作品である。黒澤明は高峰秀子が初めて恋心を抱いた相手でもあった。そんなエピソードを含め、高峰秀子のフィルモグラフィを見ることは日本の映画史を俯瞰することに他ならない。

 
 とりわけフリーとなった1950年代は、『カルメン故郷に帰る』、『稲妻』、『煙突の見える場所』、『雁』、『二十四の瞳』、『浮雲』、『流れる』、『張込み』、『あらくれ』、『喜びも悲しみも幾年月』など、大女優の円熟期らしい仕事ぶりだった。

 
 ぼくがあえて高峰秀子の映画を1本選ぶなら、成瀬巳喜男の『浮雲』だろうか。小津安二郎が「オレには撮れないシャシンだ」と言ったように、世界にも類を見ない、男女の腐れ縁を描いた傑作である。会っては別れ、またよりをもどしてという相互依存の愛憎関係は人間の深淵を見せられるようで、何度観ても成瀬らしい暗く底光りした世界に引き込まれてしまう。高峰秀子のすねたような、あるいは不貞腐れたような表情と声にも磁力があり、諦念や絶望の向こうに女の純情を感じさせられる。

▲映画『浮雲』を撮影中の高峰秀子、森雅之、成瀬巳喜男監督。『浮雲』は林芙美子の同名小説の映画化で、水木洋子が脚本を担当し、成瀬巳喜男監督の代表作ともいわれる。1955年の公開で、キネマ旬報ベスト・テンでは、作品賞、監督賞(成瀬)、主演男優賞(森)、主演女優賞(高峰)を受賞し、毎日映画コンクールでも監督賞、主演女優賞を、ブルーリボン賞の作品賞を受賞するなど、多くの賞に輝いた。戦時下の仏印で愛し合った男女が敗戦後も、妻帯者ながら次から次へと女を変える煮え切らない男を、別れを繰り返しながらも追いかける女。高峰演じる地の果てまでも男を追いかけ、やがては男に看取られながら病死する女の生き様は鮮烈で、究極の愛の姿とも映った。岡田茉莉子、山形勲、加東大介、中北千枝子らが共演。高峰は41年の『秀子の車掌さん』で成瀬監督と初顔合わせ以来17本の成瀬作品に出演し、成瀬映画の顔となった。(C)1955 東宝

 


 1955年、高峰秀子は『浮雲』が公開された直後に結婚を発表した。相手は松竹の助監督・松山善三。のちに脚本家や監督として活躍するが、このときは明らかに格差婚だった。二人の関係が分かるこんな微笑ましいエピソードがある。初めて銀座のレストランでデートしたときのことだ。松山は「あなたが先に食べてください。僕は真似します」と言い、それを見た高峰秀子は「なんて素直な人だろう」と思ったという。

 

 当時、スター女優の結婚は人気の点でマイナスとされた。しかし、そんな定説を覆すように次々に名作に出演し、仕事に没頭した。考えてみれば、高峰秀子は「子役は大成しない」という定説を覆した人でもある。そして、仕事に没頭したからといって、家庭をないがしろにしたのではなく、家にいるときは家庭に没頭した。高峰秀子にとって家庭は夫婦の共通点を見つけるより、お互いの違いを発見し、認める場でもあった。夫婦とは一心同体などではなく、夫は自分と違うのだから尊重できると考えたのである。

▲徳田秋声原作、水木洋子脚本の1957年公開映画『あらくれ』の撮影中の成瀬巳喜男監督と高峰秀子。高峰は、気性が激しく、そのくせ情にほだされやすい大正時代に生きたヒロインお島を演じた。次から次に男に捨てられながらも逆境に負けることなく、自力で運命を切り拓いていく逞しい女。強い女を描くことに定評がある成瀬映画の中でも、ここまで感情をむき出しにするヒロイン像はいまだに強烈な印象を残す。共演は上原謙、森雅之、加東大介、宮口精二、東野英治郎、仲代達矢ら。高峰は『喜びも悲しみも幾歳月』とあわせて毎日映画コンクールの主演女優賞を受賞。(C)1957 東宝

 

1 2 3 4 5

映画は死なず

新着記事

  • 2024.11.14
    「嵐」と並ぶシングル58曲連続トップテン入りを果た...

    THE ARFEE「メリーアン」

  • 2024.11.14
    【特集】高峰秀子─日本映画史に燦然と輝く足跡と、結...

    女優「高峰秀子」と妻「松山秀子」文=米谷紳之介

  • 2024.11.13
    WEST.の濵田崇裕&神山智洋のW主演による劇場を...

    コメディ・ミュージカル『プロデューサーズ』

  • 2024.11.11
    〈海老名中央公園〉をジャックする大イベント「おだき...

    小田急グループ施設のほか、沿線アミューズメント施設の招待券等が当たる

  • 2024.11.08
    親と離れて暮らす子どもたちが何を思い、悩み、どう大...

    応募〆切: 11月25日(月)

  • 2024.11.08
    池松壮亮、妻夫木聡、仲野太賀、水上恒司らが「石井組...

    平野啓一郎の小説『本心』を石井裕也監督が映画化

  • 2024.11.07
    麻布台、六本木など5つのヒルズが連動した、「CHR...

    キーメッセージは「I LaLaLa YOU」、訪れた人々がよろこびでつながり合うクリスマス

  • 2024.11.07
    朝ドラ「虎に翼」が記憶をよみがえらせた御茶の水、駿...

    ガロ「学生街の喫茶店」

  • 2024.11.06
    ブータン初のオスカー候補になった『ブータン 山の学...

    応募〆切:12月10日(火)

  • 2024.11.06
    生涯のベスト作品に挙げる映画ファンも多いイタリア映...

    『イル・ポスティーノ』が4Kデジタル・リマスター版で11/8から

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!