〝エノケン〟こと榎本健一や古川緑波とも共演した彼女はこんな鋭い指摘もする。
「喜劇役者といわれる人は、例外なくといってもよいほど、生真面目で孤独な性格の人が多い。金語楼しかり、植木等しかり、渥美清しかり、藤山寛美しかり、伴淳三郎しかりである。」
この批評精神というか、映画や人を客観的に判断できる眼は自分の演技にも向けられる。同じ成瀬巳喜男の監督作で『浮雲』より愛着を感じるという『放浪記』において、彼女は主人公のふみ子を演じるにあたり、こんな演技プランを考えた。その一部を『わたしの渡世日記』から抜粋したい。
「明るさは常に『心の暗さ』から出し、空虚さとやけっぱちが常につきまとっていること」「美と醜は表現しても、下品と紙一重で抑えること」
高峰秀子は主役として前に出て目立つことより、主役も他のキャストと同様、映画を形成する一つのピースであるべきだと強く自覚していたに違いない。
スターと呼ばれる女優にはそれぞれ輝きがある。高峰秀子は原節子や浅丘ルリ子のような破格の光源を持ったスターではないと、ぼくは思う。しかし、その光は灯台の明かりのように確実に遠くまで届き、共演者たちを照らし出した。『放浪記』も、宝田明、仲谷昇、加東大介、伊藤雄之助ら、共演した男優がみんな光っている。ふみ子と結婚した売れない作家役の宝田明など一世一代の名演である。
監督にとってこれほど頼もしい女優はいない。日本映画の巨匠たちがこぞって高峰秀子を起用したのは当然だろう。
*参考文献 :『わたしの渡世日記』、『高峰秀子 夫婦の流儀 完全版』、『コーちゃんと真夜中のブランデー 忘れえぬ人びと』、『高峰秀子 おしゃれの流儀』
米谷紳之介(こめたに しんのすけ)
1957年、愛知県蒲郡市生まれ。立教大学法学部卒業後、新聞社、出版社勤務を経て、1984年、ライター・編集者集団「鉄人ハウス」を主宰。2020年に解散。現在は文筆業を中心に編集業や講師も行なう。守備範囲は映画、スポーツ、人。著書に『小津安二郎 老いの流儀』(4月19日発売・双葉社)、『プロ野球 奇跡の逆転名勝負33』(彩図社)、『銀幕を舞うコトバたち』(本の研究社)他。構成・執筆を務めた書籍は関根潤三『いいかげんがちょうどいい』(ベースボール・マガジン社)、野村克也『短期決戦の勝ち方』(祥伝社)、千葉真一『侍役者道』(双葉社)など30冊に及ぶ。