夫婦の違いが端的に出たのが食の好みだ。美味しい味噌汁と漬けものがあればいい高峰に対し、松山は味噌汁の匂いを「クサイ」、漬けものを「ドブ」と言って毛嫌いした。人には理屈抜きの好き嫌いがあることを理解する高峰は、味噌も漬け物も家には置かないようにした。食べるのは夫が旅行などで留守をしたとき。外で食べた。さらに夫のために栄養士並みにバランスのよい食事を作り、レパートリーはゆうに百を超えた。
こうして高峰秀子の暮らしをあたかも見てきたように書けるのは、彼女が50歳を過ぎ、映画から離れて以後、エッセイストとしてたくさんの著書を残してくれたからである。文章を書く才気にあふれ、ものを見る確かな目がある。読んでいると、つい付箋を貼ったり、傍線を引きたくなる。自伝ともいうべき『わたしの渡世日記』は映画のファンなら必読の本なのだが、ぼくが付箋を貼ったのは、たとえばこんな箇所だ。
「彼が、日本の映画界にペシミズムを持ち込んだ最初の作家だと、私は思っている。」
彼とは28歳で戦病死した山中貞雄のこと。『人情紙風船』など山中貞雄の作品を観た人なら、この言葉に肯く人は多いはずだ。