リッチにスマートに、そしてモダンに
SPECIAL FEATURE 2009年11月25日号より
昭和12年の創刊以来、女性たちにいち早く時代の風を送り続けている冊子「花椿」。72年間にわたり「花椿」が伝えてきたことは、人々が美しく生きるために必要な「美」と「知」の提案です。化粧や美容、ファッションの新しい情報を提供しながらも、それ以上に特筆すべきは、「花椿」が世の女性たちの生きる道標であったということでしょう。その背景には「リッチ」という美意識の豊かさが存在しています。今なお変わることなく、時代の風を運ぶメッセンジャーである「花椿」の72年の歴史の扉を開いてみましょう。
文・石川理夫 取材協力:株式会社資生堂 撮影:斎藤実
母の鏡台で出会った
ひとつの冊子
小さい頃、家に母が愛用していた大きな三面鏡付き衣装箪笥があった。母の嫁入り道具の中で空襲をかろうじてまぬがれた一つだったらしい。重厚で黒光りした箪笥の上に置かれていたさまざまなもの、三面鏡の奥に拡がる世界に私はしばしとりこになった。
ひとり留守番のとき、化粧台を兼ねた箪笥の上でよく手にとった雑誌風の体裁の冊子がある。当時数少ないカラー表紙を飾るのは、子供の目にも美しい女性たち。さわやかな笑顔、意志を秘めた目線に惹かれたのだ。
頁をめくると、たとえば覚えているのは、緑の高原を舞台に妖精のように舞う女性たち。凛ときれいに伸びきった姿態が鮮烈だった。後で読み返すと、これは「春の野外化粧」の記事に付いていた写真で、モデルは小牧バレエ団と石井漠舞踊団(1957年4月号)。ポーズが決まっていたのは無理もない。
外国人もよく登場し、海外への憧れをかきたてた。当時の私には、三面鏡を前に母の口紅を使ってみるような妖し心は浮かばなかったけれど、冊子からは未知の女性たちの姿が化粧品のように薫り立つようだった。
これが化粧品店を通じて資生堂が消費者に提供していた『花椿』誌だったことは、表紙の印象的なロゴから覚えている。化粧品でなくても、女性がいきいきと輝く世界を私にのぞかせてくれたのが『花椿』だったのである。
昭和12年の創刊、
70年以上続く『花椿』
『花椿』が資生堂の愛用者組織「花椿会(現・花椿クラブ)」発足に合わせて、会員を中心に消費者に配る月刊誌として創刊されたのは1937(昭和12)年の秋。前身は、大正時代の1924(大正13)年に創刊された『資生堂月報』という化粧品業界初の消費者向け機関誌までさかのぼる。
『資生堂月報』は昭和に入って不況で2年ほど休刊した後、1933(昭和8)年に『資生堂グラフ』と改称。よりビジュアル化した文化情報誌として復刊し、『花椿』はそれを引き継いだ。戦時中休刊を余儀なくされたが、今も毎月刊行されているので、『花椿』は70年以上続いていることになる。
雑誌の休刊が相次ぐ昨今、この持続力はすごい。そういえば、日本のギャラリーで最も歴史が古い資生堂ギャラリーも、今年12月で90周年を迎える。これは企業の力だけでなく、強い意思、目的心がないと続かないだろう。
『花椿』の場合、刊行を支えるスピリッツは、戦前の時代からかいま見える。タイムスリップする気分で『花椿』の世界にみなさんを誘いたい。
創刊号は1937(昭和12)年11月号である。戦後復刊した時とサイズは同じ雑誌のB5判に近く、表紙を入れて24頁。多色刷り表紙には、着物姿と洋服姿の女性二人が緑園に並び立つ。
着物のデザインも素敵だが、赤い飾りの付いたトルコ帽みたいな帽子に洋装の女性は、『花椿』の表紙モデルに多く登場した東宝映画の女優さんなのだろうか、名前はわからないが涼やかな目元の美女。ファッションは今でも「モダン!」と言っていい。