ユーミンの存在を知ったのは、1973年のラジオの深夜番組だった。
今は亡きTBSのアナウンサー林美雄がパーソナリティを務めていた
TBSの「パックインミュージック」で、荒井由実の「ひこうき雲」がかかった。
その1曲で、それまでにない新たな才能の出現を感じた。
それから、どれだけユーミンの曲を聴いてきただろう。
フォークソングブームの時代から、それまでシングル中心に聴いていたのが
LPレコード、つまりアルバムで聴くようになっていたが、
ユーミンの登場で、アルバムの楽しさが加速した。
2022年、ユーミンはデビュー50周年を迎えた。
荒井由実の時代、松任谷由実の時代問わず、
多くの人々がユーミンの曲に自身の青春を重ねてきたはずだ。
ユーミンの曲は、半世紀の間その時代を生きたその人の暦と共にいつも存在していた。
開催中の「YUMING MUSEUM(ユーミン・ミュージアム)」では、
ほとんど公開されることのなかったコレクションや貴重な資料に映像、
アルバムジャケット、ステージ衣装、直筆のメモなどが惜しげもなく紹介されている。
半世紀にわたるユーミンの音楽の旅路である。
同時に、ユーミンの歌が流れていたそれぞれの時代に生きた人の旅路でもある。
いつもユーミンが流れていた
文=有吉 玉青
この原稿のご依頼には驚いた。音楽専門ではない人に、ということらしいが、それでも詳しい人はたくさんいる。私でいいのだろうか。迷った末にお引き受けすることにしたのは、ご依頼の際の「ユーミン、好きですか?」が気になったからだった。
思えば自分がユーミンが好きなのかどうか、考えたことがない。
私はユーミンが好きなのか?
ユーミンをいつから知っていたのか、思い返せば中学のときから。調べたら、そのころユーミンは荒井由実から松任谷由実になっていたが、荒井由実と呼んでいたような気がする。
高校の卒業式では、各クラスの代表が卒業証書をもらうとき、「卒業写真」を歌ったクラスがあった。まさにその時にあって、知っていた歌が心にしみた。
学生時代、テニスのサークルの合宿に参加した折、宿のロビーに「守ってあげたい」が流れていた。BGMに背中を押されたか、あるいは力を借りたのか、隣のテーブルで男子が向かいの女子に、
「君って『守ってあげたい』っていう感じなんだよね」
と、さりげなく告白していて、思わず聞き耳をたてた。
文化祭でわたあめの屋台を組み立てている間、ユーミンのアルバムがかかっていた。ラジカセの時代、テープのA面が終わると、誰かが気づいてB面に裏返し、それが無限に繰り返された。
スキーバスの中では「SURF&SNOW」……、学生時代は、ユーミンとともにあった。コンサートにも行った。さそわれて行ったこともあるし、自分でもチケットを買って行った。
─── ということは、好きなんじゃないか。わからない、もう少し考えてみたい。