庭園は江戸文化の華

 ~和歌になぞらえた名園あり、江戸庶民の行楽の場あり~

 

東京には、今に残る「名園」が数多い。都心のオアシスともいえるが、往時、大名も町人も、庭園に文化の風雅をたくして愉しんでいた、そのよすがを見ることができる。
由緒正しき名園に佇めば、江戸文化の華がひらいた時代の平和と、今の平和のありがたさに思いが至る。

 

文芸に造詣が深かった吉保、面目躍如の築園

 

風薫る初夏、江戸の風を浴びに庭園を訪ねてみよう。

駒込の「六義園」は、元禄十五(一七〇二)年、柳沢吉保が築園した、池をめぐる路を歩きながら移り変わる景色を楽しむ大規模な「回遊式築山泉水庭」だ。文芸に造詣の深かった吉保は、紀州和歌浦や、万葉集、古今和歌集から選んだ八十八景を庭に写し出し、中国の「詩の六義=賦・比・興・風・雅・頌」にならった「和歌の六体=そえ歌・かぞえ歌・なずらえ歌・たとえ歌・ただごと歌・いわい歌」から「六義園」と名づけた。

門を一歩くぐると、緑、緑、緑。湿り気をおびた青苔から、若葉あふれる潅木、天を仰ぐ巨樹までまさに新緑浴そのものに、思わず手を上げて深呼吸する。

踏みしめる小砂利は足裏にここちよく、曲がり分かれる小径は、さてどちらに行こうかと迷うのもおもしろい。

池に浮かぶ「中の島」の「妹山・山」は、紀州和歌浦の「妹背山」にならう。「妹」は女、「背」は男。

『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』は浄瑠璃の名曲。解説版にあげた歌は色っぽい。

   いもせ山中に生たる玉ざゝの一夜のへだてさもぞ露けき

その先の「芦辺」解説に山部赤人が紀州和歌浦の芦辺を詠んだ歌が載る。

   若の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

隣は平たい巨石を二枚つないだ「渡月橋」で、名は赤人歌の本歌取りからつけられた。

   和歌のうら芦辺の田鶴の鳴声に夜わたる月の影ぞさびしき

さらに「出汐湊」の解説にも、

   和歌の浦に月の出汐のさすままによるなくたづのこゑぞさびしき

「浦」「月」「鶴」、同巧であれど詠みたくなるのだろう。

 

和歌をたしなむ主の気品に満ちた名園

 

みごとに手入れされた広大な青 芝、広々とした泉池、浮かぶ蓬莱島、 潅木一本まで形を整えた植え込み、 要所を引き締める岩、見上げる高さ の石の春日灯籠、悠々と亭や茶屋が 点在する庭は雄大だ。

  奥まった「蜘道(さゝがにのみち)」 は六義園八十八境八十七。
 
 わがせこが来べきよひなりささが にの蜘蛛のふるまいかねてしるしも
 

蜘蛛の糸が細くとも切れないよう に、和歌の道が永遠に続くことを 祈って「蜘道」と命名された。歌を 詠んだ衣通姫は日本書紀に「美しさ がその衣を通して輝く」と描かれる。 このあたりは自然のままを残して、 里山を歩くようだ。小高い築山上の 「つつじ茶屋」は、なかなか太いも のがないという躑躅材で作られ、いかにも硬そうにくねくねと曲がる柱 が風流だ。

渡月橋の対岸に至り最も眺望が開 けた。眼前の庭園先にビルが一つも 見えなく青空ばかりが広がるのは、 都心において奇跡的な贅沢な眺めで はないだろうか。

和歌の教養に裏打ちされた武家の 気品に満ちた大名庭園だった。

 

大名庭園にはない自由 奔放な町人の行楽の場

電車を乗り継いだ東向島の「向島 百花園」は、江戸の町人文化の最も 栄えた文化文政期の初めごろ(一八 〇四~)、日本橋の骨董商・佐原鞠 塢が交遊のあった文人墨客の協力で 開園した。

治世の安定したこの頃は大名も町 人も園芸ブームで、「寛永の椿」「元禄の躑躅」「化政の朝顔」の流行を 生んだ。百花園開園ころの変化朝顔 は珍花奇葉が投機の対象になり、下 谷の植木行商の声が響き、花の名所 は庶民の行楽の場となった。

「春夏秋冬花不断」「東西南北客争 来」とある簡素な葦簀門をくぐると、 大名庭園とはちがう植物園のおもむ きだ。さほど広くはない敷地の真ん 中に泉水はあるものの、あまり造園 設計など感じさせない、花潅木をどんど ん植えていってこうなったという気 楽さがいい。地面に縄で囲んだ「春 の七草」「秋の七草」はわが家の庭 を見るようだ。緑葉に紫のきれいな ムラサキセンダイハギは歌舞伎の伊 達騒動『伽 めいぼくせんだいはぎ 羅先代萩』に名が残る。

 園内に目立つのはあちこちに建つ 俳句石碑だ。これもあまり計画性の ないまま、奇岩を競うようにどんど ん増やしていった風がいい。
 

 春もややけしきととのう月と梅   芭蕉
 
 鳥の名の都となりぬ梅やしき   益賀
 
 おりたらん草の錦や花やしき   柘植黙翁
 
 こんにゃくのさしみも些しうめの花 芭蕉

  紫の由かりやすみれ江戸生れ   井上和紫  

 黄昏や又ひとり行く雪の人 雪中庵梅年

  うつくしきものは月日ぞ年の花   寳屋月彦

 水や空あかり持あう夜の秋  北元居士

  花暮ぬ我も帰りを急うずる   矢田恵哉

大名庭園には和歌が、町人庭園に は俳句が似合う。私の好きな江戸~ 明治の画家「月岡芳年翁の碑」(建 之明治三十年)があるのはうれしく、 その冒頭は「絵畫は冩生を以て本道 とし……」と読める。
 
驚かせたのは「芝金顕彰碑」(芝 金は、初代を文政期に始まり今も六 代目に続く歌沢節の名跡)の「梁川 榎本武揚君篆額」だ。
 
江戸生まれ、幕末に五稜郭にたて こもり、維新後は公使としてロシア と交渉にあたった英傑が、没する十 年前の明治三十一年に艶っぽい端唄 名跡の碑文題字をみごとな篆書で書 いていたとは。
 
まわり終え、入口脇の茶屋でいた だく甘酒がおいしい。

六義園は江戸元禄期、向島百花園 は文化文政期。いずれも安定した平 和が続いた時代に、大名は大名らし い、町人は町人らしい庭を作った。 平和な時代は名庭園を作る。破壊す るのは戦争だ。江戸文化の華ひらい た庭園を訪ねてゆける今の平和をあ りがたいと思った。

 

おおた かずひこ

 グラフィックデザイナー・作家。 『太田和彦の東京散歩、そして 居酒屋』(河出書房新社)他。


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