渡辺誠 62歳 東京都中央区在住
埼玉の郊外から都心で暮らしたいと念願かなって銀座の外れのマンション暮らし。銀座を散策するのが唯一の楽しみだが、思わぬ発見がある。東京、歌舞伎座の晴海通りを背に新富町方面につづく一角は、江戸時代、木挽と呼ばれる職人が多く住んでいたことから、「木挽町」と呼ばれていた。銀座の古地図を開きながら、近くにあった広大な敷地の高級料亭「万安楼」のことや銀座の街の移り変わりを話してくれるのは、活版印刷と、印刷業者向けに活字鋳造販売を営む、「中村活字」の5代目社長中村明久さんだ。
中村活字は創業112年、もともとは印刷業者に活字そのものを売っていた。この町内は大小の印刷業者が200軒はくだらなかったという。鉛合金でかたどった活字を一字一字、活字ケースから拾って組版をつくる。この組版にインクをのせ、圧力をかけて紙に印刷するのが活版印刷だ。コピー機のない時代、名刺はもちろんのこと、官庁の公文書の作成にも活版印刷はなくてはならないものだった。
界隈には、新聞社や広告社が多く、また官庁も近かったため活版印刷は非常に需要があった。たとえば建築会社の営業マンは、一人で2000枚もの名刺を作る。名刺をばらまいて仕事を取っていた時代があったのだ。そのため小さい印刷所がたくさんあった。
しかしバブル時代に印刷所は店を手放しマンションやビルへ変わる。「万安楼」も25階建ての高層マンションになった。さらにデジタル化により、印刷業界は淘汰され、銀座で営業を続ける唯一の活版印刷屋になった。
活版印刷のよさは、紙に印刷された凸凹の文字から手作りの温かさと品格が伝わる。今は若い人が活版の名刺を作りたがりアートの世界でも依頼が増えている。これからも活字文化を伝え続けて欲しいと切に願っている。