2014年4月1月号 「街へ出よう」
関東大震災や戦火を免れて今も静かに佇む大邸宅が存在している。
それらは、歴史上に名を馳せた著名人の本邸や別邸であることも珍しくない。
当主の趣味や最高の技術が込められた建築物は、それ自体が芸術品ともいえる。
文明開化とともに建てられた重厚でエレガントな洋館、
大正期の和洋折衷の趣味の良い邸宅など、時が経つのも忘れさせる。
庭園には桜やつつじが咲き誇り、緑溢れるこれからの季節、
日本を支えて来た人物の業績を振り返る縁にもなり、ぜひ出かけてみたい。
大邸宅を見る
~芳しき意匠をまとった建築物~
文・太田和彦
三菱財閥の創始者・岩崎家のスケールの大きさを物語る
明治期を代表する邸宅
町を歩き、長い塀に囲まれて鬱蒼と大樹が繁る邸宅を見ると、中はどうなっているんだろうと興味がわく。それが三菱財閥の創始者・岩崎家の邸宅であればケタが違う。
「旧岩崎邸庭園」は不忍池に近い池之端。駅の地域図で見るだけでも広大な敷地だ。長い赤煉瓦塀をまわりこんだ正門から、敷地内なのに幅十メートルはあろうかという馬車道をゆっくり上って左に折れ、さらに行くと眼前に壮麗な洋館が現れた。二階建て右寄りの玄関ポーチの上は角ドームの塔屋がそびえ、外壁の肌色とスレート屋根の青灰色の対比が美しい。
古い建物のみどころは装飾だ。ギリシャ古典とイスラム風をないまぜにした様々なモチーフの変化は見飽きない。全体には直角直線で整えたイギリス・ルネッサンスの端正な建物に異国風の装飾をたっぷり施した印象で、玄関前に梢高い数本の唐棕櫚(とうじゅろ)がさらに南国の趣きを添える。
中に入ると階段ホールに圧倒される。ジャコビアン式(イギリス十七世紀の装飾)が施された双子柱(二本合わせの装飾柱)を前に立てた三つ折れ廻り階段は、上から客を迎えに下りてくる当主が、さぞかし立派に見えただろう。建物内には木彫が多く、双子柱の下部にまわした唐草風の浮き彫りが豪華だ。室内もホールも、石のマントルピースが空間の主役となる。
婦人客室は四隅にアルコーブ(室内から少し退いた小空間)を設けて四角の部屋をやわらげ、金唐革紙というものを使った壁紙はすべての部屋で意匠を変えてある。建物南は芝の庭に面して上下総二階の広大なベランダだ。上のベランダは、庭の園遊会に訪れた来賓に手を振る優雅な演出になる。
庭にまわる植え込みに緑濃いアカンサスがあった。地中海地方原産のギリシャ国花、和名・葉は 薊あざみは、ギリシャ古典装飾の基本モチーフで、邸内もいたるところに使われ、東京藝大の校章もこれだ。初めて見る生きた葉は一枚がハンカチほどに大きいと知った。
三菱財閥が私的な迎賓館に建てた洋館は、建物は重厚、装飾は華麗と言おうか。厳格に様式を守った洋館(例えば教会)とちがい、ギリシャ風、イスラム風、アメリカ風と自在に引用した様式の混淆は、あらゆる事業を手がけた岩崎のスケールによく合うと思えた。
大正時代の名建築は震災や戦火を逃れ七段雛飾りも今に伝わる
ほど近い千駄木の、安田財閥につらなる「旧安田楠雄邸庭園」は大正八年築の日本邸宅だが、式台から上った最初の応接間だけは洋室だ。丸テーブルをソファが囲み、天井は装飾縁がまわる白漆喰。木貼りの壁にはめこんだ暗緑色大理石マントルピースの飾り柱に遊びのようにつけた、うずくまる兎と猿の木彫一対がおもしろい。
隅に置かれたハンドル式蓄音器は大正末期のビクトローラ。隣りのアップライトピアノは昭和五年のヤマハ。当主は音楽好きだったか。庭園をのぞむサンルームの天井は白漆喰で、昭和に流行した籐製の応接セットが置かれる。
続く和室や長い廊下の電灯がいい。羽ばたく闘鶏(けいとう)の透かし彫りから下がる二灯の吊り下げシャンデリア灯。廊下柱に並ぶぼんぼり灯。日本の伝統建築に電気配線はないから電力普及以降のもので、和風に合うようにデザインされた明かりだ。
三月の今日は、安田家伝来の七段雛飾りが女性たちの熱い眼差しを浴びていた。
建築ウォッチも個人邸宅は当主の趣味が見どころだ。必ずある女部屋、また台所、風呂場など生活が見えるのも興味をさそう。ひるがえって現在、重要文化財に指定されるような個人邸をもつ人はいるのだろうか。
おおたかずひこ
グラフィックデザイナー・作家。最近の建築ウォッチ興味は大正から戦前までの庄司会社、銀行支店、医院などの小さな洋館。松本、松江などによく残る。