—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第5回 キジュからの現場報告
数年前から、幼稚園児たちに絵本の読み聞かせをやっている。お蕎麦屋さんの出前のように、文学館が注文を受けて声を届けるのだ。「文学館は建物では無い。出来事である。」という事の実践だ。
始めた切っ掛けは、
「子供の頃に読んだ本のリズムを覚えているから、大人になって文章が書ける」
というような趣旨の事を文学者の誰かが言っていたのを思い出したのだ。
子供の頃、私は全く本を読まなかった。20歳の時に月刊『婦人公論』から原稿を書かないかと打診があった。文章など書いたことがなかったけれど、やってみる事にした。原稿用紙と消しゴム、鉛筆、国語辞典を買って机に向かった。案外スラスラと書けてしまった。それがきっかけになって単行本を出版することになったりもした。
ある時、電車の吊り広告に、前記の文学者の言葉があった。あれっ、と思った。自分には読書体験など全く無い。それなのに書けたではないか。その時甦った。小学生の頃、毎年風邪をひいて何日か寝込んだ。そのたびに、叔母が枕元で岩波少年少女文学全集を読んでくれたのだ。私は全集を朗読で読破していたのである。その体験が無ければ、文章など書けなかっただろう。電車の中で、涙で霞んだ叔母の顔が浮かび上がった。
幼稚園児は反応がダイレクトで正直だ。つまらなければ、おしゃべりが始まり、面白ければ大声で笑ってくれる。反応に嘘がないから、毎回自分の反省点が見つかる。そこが私にとっては大事なことなのだ。喜寿の新人役者にとって、読み聞かせは一番の修行の場なのである。一度、悪い鬼の台詞を怒鳴り声でやったら、泣かれたことがあった。それ以来、私の鬼はやけに優しい。(笑)
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。