記録的な夏の暑さが和らぎ、お出かけしたくなる季節がやってきた。今回は、京成電鉄本線の「谷津」駅に下車、「谷津バラ園」の秋バラや干潟にくる野鳥の観察を楽しむ、そんなショートトリップをご紹介したい。
野球場があった「読売巨人軍発祥の地」、谷津公園
谷津駅は、京成上野駅から京成本線快速特急に乗って5つ目の京成船橋駅から各駅停車に乗り換え3つ目。快速特急を使えば乗車時間は40分ほどである。1921年(大正10)に「谷津海岸駅」の駅名で開業したが、4年後に谷津遊園(当初は京成遊園地)ができると、「谷津遊園駅」に改称、戦時中の改名もあったが、遊園地が閉鎖されると「谷津駅」と何度か駅名が変わっている。
谷津駅の南口を出て石畳の遊歩道には八百屋、和菓子屋、雑貨店、喫茶店、パン屋、カラオケ居酒屋など地元で生まれたお店並んでいて、住民にとっては暮らしやすい町に違いない。看板の案内に従い、周りを見渡しながら進むとあっという間に谷津公園に到着。ここはかつて「谷津遊園」があった場所で、ジェットコースター、大観覧車、メリーゴーランドなどのほか流れるプールなどもあり、カップルやファミリーの人気のスポットだった。しかし、東京ディズニーランドが1983年(昭和58)に開園することになり、谷津遊園はその前年に閉鎖された。跡地はほとんどが住宅地に転用されたが、名物のバラ園は閉鎖を惜しむ声が多く、習志野市営の谷津バラ園として残されたのである。
バラ園の入り口近くで目を引くのは、「読売巨人軍発祥の地 正力松太郎」という碑である。1934年(昭和9)にベーブ・ルースやルー・ゲーリックなど米国大リーグのスター選手を招いて開催された日米野球の際には、この地にあった谷津遊園野球場で日米の合同練習が行われ、この時結成された大日本東京野球倶楽部が後の読売巨人軍となり「読売巨人軍発祥の地」とされたのだ。後のオーナー正力亨ほか、川上哲治、国松彰、王貞治、長嶋茂雄ら往年の名選手の手形パネルも並んでいる。巨人ファンにとっては聖地なのかもしれないが、多摩川や後楽園のイメージが強い巨人軍だったので、思わぬ発見だった。