文=山田太一
2013年10月1日号 PERSON IN STYLE《美しいとき》より
八千草薫という女優を思うとき、チャーミングという言葉が浮かびます。
人生の年輪を重ね、その年齢それぞれの美しさを感じさせてくれる人。
八千草さんのようなキャリアをもつ女優が、若いころ同様に現在も年に数本の映画やドラマに出演しているのは驚異的です。
おそらくその時代時代の八千草薫さんのたたずまいに多くのクリエーターたちの創作力がくすぐられるのでしょう。
11月16日(2013年)には主演映画『くじけないで』が公開されます。
脚本家の山田太一さんはドラマ「岸辺のアルバム」以来八千草さんとは36年というおつきあいで、数々の名作を生み出した仲。
八千草さんとの思い出の作品を紐解きながら山田太一さんならではの「女優・八千草薫」論を披露していただきました。
撮影:平岩享 撮影協力:TOKYO BAYCOURT CLUB
学生のころ何人かでごろごろとしゃべっていて、趣味が悪いといわれたことがある。
「一番は、なんといったって、八千草薫だろ」といったのである。敬称略です。一ファンでした。
「あんな清純派のどこがいいんだ」と鼻で嗤われた。他の奴も「うん」「うん」と同調したので、くらくらした。
「そんなのお前らの気取りだよ。あんな綺麗な人を評価しないなんて、大人ぶろうとして無理してるんだ」といった。本気でそう思った。
別の時、別の友人についその時の無念を愚痴ると、その友人は「いいよな、八千草薫、あの唇、あのおでこ」ととろけるような目になったので、二人で盛り上がって、「触りたいよなあ」「皮膚じゃなくていいから」「ブラウスの袖とか」「スカートの端とか」と讃嘆して平(ひれ)伏したいような気持になったのだった。
その友人が寺山修司で、それから二十年ほどして、自作の映画『田園に死す』で彼なりのマドンナとして遇し、八千草さんへのオマージュを果たしたのだった。
羨ましかった。そのころ私はテレビドラマのライターになっていたが、まだ八千草さんをチラリと見ることもできずにいた。いや、それは少し卑下しすぎかもしれない。望めば自作に出ていただけたかもしれないのだが、憧れの人なので、こんな役では勿体ない、こんな役では失礼だろうとひるんでいたのだった。
すると同年輩の倉本聰さんが「うちのホンカン」という、すばらしいドラマを八千草さんで書いたのだった。北海道の小さな町の駐在所の巡査が大滝秀治さんで、その奥さんが八千草さんである。ハキハキして労を惜しまない見事な美しい女っぷりだった。
さて、もうこれ以上待っていられない。
そこでお願いしたのが「岸辺のアルバム」だった。断られてしまった。すぐ会っていただいた。渋谷のホテルのコーヒーショップだった。目の前で八千草さんと話をしているのだから、達成感でもう満足でした、といいたいところだが、断られてはそうもいかない。ほとんど一方的に私がしゃべりまくって、呆れたように聞いてらして、最後にとうとう引受けて下さった。
あとになれば、そのプロセスもよかったと思う。要約すればそのドラマは「不倫をする人妻の話」なのだから、こっちが勝手に「でもよくあるドラマとは違う」と思っていても、八千草さんには通じようがない。ためらいは当然だったと思う。