食べたいものが一年中手に入る現代と違いかき氷が夏の風物詩だった時代がある。
昭和の時代までは、かき氷は夏限定の楽しみだった。
子供にとっては、やはり御馳走で、見た目も涼しげなガラスの器にこんもりともられた、かき氷の山をくずしながら、こぼさないように食べるのは子供にとっては難しく、慎重に口にはこんだものだ。
そのうち、家庭用かき氷機なるものが普及して自分で氷をかきながらいつでもかき氷を食べられるようになったが店で食べるほどおいしさが感じられなかった。
やはり冷蔵庫の製氷機の氷だと味がおちるのかもしれない。
だが、それ以上に、いつでも食べられるものではなかったからこそかき氷が夏の舌の記憶として刻み込まれているに違いない。
かき氷が夏の最高の御馳走だったあの頃
~キーンとくる冷たさと甘い舌の記憶~
文=川本三郎
昭和の風景 昭和の町 2016年7月1日号より
かき氷が贅沢だった時代
まだアイスクリームがいまのように普及していなかった時代、庶民の夏の楽しみは、かき氷(氷水)だった。
ガラスの容器にかき氷を入れ、レモンやイチゴのシロップをかけ、匙で食べる。見た目も涼しげだし、氷だから冷たく、いっぺんに汗がひく。
デパートの食堂や甘味処だけではなく、通りの小屋掛けの小さな店にもあった。どの店にも、波の絵柄に赤い字で氷とかかれた小旗(氷旗)が掲げられていた。
宮本輝の『泥の河』は、昭和三十年ころの大阪の安治川べりを舞台に、小学二年生の男の子を主人公にした小説で、当時の庶民の暮しが懐しく描かれているが、この小説に氷水が出てくる。
子供の両親は川べりに小さな食堂を開いている。客は労働者が多い。主にうどんを出すが、夏になるとかき氷も加わる。
馬車曳きの「おっちゃん」は昼過ぎになると、馬を曳いてこの店にやってくると、馬を店の前に待たせ、店で弁当を開く。そして「そのあとかき氷を食べてゆくのだった」
昭和三十年ころには、まだ馬に荷車を引かせる馬車曳きがいた。夏は重労働なのだろう。毎日のように、かき氷を食べて暑さをしのぐ。
「おっちゃん」は気のいい男で、信雄という男の子が父親に「氷おくれェな」と言っているのを聞くと「わしのん半分やるさかい、匙持っといで」と親切に声を掛ける。
「一杯のかき氷を、信雄と男は向かい合って食べた」
かき氷が、贅沢だった時代、子供はうれしかっただろう。
昭和二十八年に公開された大映映画、室生犀星原作、成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』は、多摩川べりに住む地付きの一家の物語。
父親(山本礼三郎)は多摩川の堤防の石積みをする親方。母親(浦辺粂子)は、川べりで茶店を開いている。パンやまんじゅう、サイダーやラムネ、そして夏にはかき氷を売る。
夏の暑いさかり、看護婦の学校に行っている下の娘(久我美子)が母親の店に帰ってくる。学校は夏休みなのだろう。
炎天下やってきた娘に、母親は何よりもまずかき氷を作ってやる。「暑かっただろう、いま氷かいてあげるから」
かき氷は夏の最高の御馳走だった。
母親はここで面白いことをする。ラムネを一本取りだすと、ぽんと栓を抜いて「これかけると、さっぱりしておいしいよ」。氷レモンや氷イチゴならぬ氷ラムネ。これはあまり見たことがないが、確かにおいしそうだ。
かき氷は夏のあいだのもの。母親の店では夏が終ると、かき氷はやめて、おでんに変わる。夏はかき氷、冬はおでん。定番だった。