1932年、東宝の前身であるP.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。
皆さんは、‶成城〟というワードから何をイメージされるだろうか? 学校名、高級住宅街、成城石井やくすりセイジョーといった地名を冠した店舗でなければ、おそらくそれは成城学園正門前に位置するいちょう並木であろう。
この原稿が掲載される頃には見ごろを迎えているはずの当いちょう並木は、昭和初期に成城小学校の生徒たちが植樹したものとされている(註1)。実に〈絵になる〉スポットであったためか、東宝作品では幾度となくロケ地に選ばれ、その姿が多くのフィルムに刻印されている。今回は、この‶成城名物〟とでも言うべき、いちょう並木で撮影された映画をご紹介させていただきたい(註2)。
撮影所から近くに位置したということが、いかにロケ地の選定に影響したかはすでに述べたとおり。昭和40年代半ばあたりまでは交通量も少なかった当並木道は、映画ロケには誠にうってつけのスポットであったのだ。
筆者が確認した中で、成城のいちょう並木の姿が確認できる最も古い映画は『唐手三四郎』(51年:並木鏡太郎監督)なる新東宝作品(註3)である。当年とって三十一歳の岡田英次扮する唐手部員が通う東都大学には成城学園が見立てられており、キャメラが西の方角から歩いて来たヒロイン(大谷伶子)を捉えると、背景には当然ながらこの並木道が写り込む。
意外な作品としては、小林正樹監督による松竹映画『まごころ』(53年)を挙げねばならない。この瑞々しい青春映画(主人公の高校生=石濱朗と、名も知らぬ少女=野添ひとみとの死別を描く)では、主人公が通う学校として、やはり成城学園のキャンパスがロケ地に選定、生徒たちが自転車で正門を走り出ると、画面には葉の落ちた並木道の冬の光景が広がる。
昭和30年代の映画では、清水宏監督の『しいのみ学園』(55年)に注目である。本作では、小児まひを患う少年・河原崎健三が父親の宇野重吉と連れ立って小学校(ロケ地は東宝撮影所斜向かいにある砧小学校)へと向かうシーンが、当並木道(学園の正門前)にて撮影されている。福岡を舞台とした話ではあるが、なにせ新東宝作品であるからロケは近場で済ませたものと思しい。この頃小学生だった方は、この映画の主題歌に深い思い入れがあるのではなかろうか。
ここで、いよいよサザエさんの登場である。昭和30年代初頭、江利チエミの主演により十作ほど作られた東宝『サザエさん』シリーズは、監督を務めた青柳信雄が成城住まいだったことからか、一作目から磯野家が「成城町三丁目5番地」にある設定となっている。青柳はそれでなくとも自宅近くでロケすることが好みで、やたら成城ロケ作品が多いことで知られる監督である。江利は、最も漫画のサザエさんのイメージに合っていた女優=歌手で、後年テレビでシリーズ化されたときも大いに楽しんだものだ(註4)。