高橋 弘
(万葉倶楽部株式会社 会長/ 箱根湯本温泉 ホテル天成園 オーナー)
かつての名門旅館を蘇らせる
箱根には17種の温泉があって、日本で一番入湯税を稼いでいる町です。全国のホテル宿泊業にとって一度は箱根で商売をしてみたいと思っている場所です。海がないといわれますが、新緑の渓谷のマイナスイオンを浸り、森を登れば富士の大観の眺め、紅葉を踏む秋のたたずまい、などなど四季を通して自然の息遣いとふれあえる有数の観光地です。交通も便利で、箱根の峠を下れば御殿場インター、すぐ近くに御殿場アウトレットがあります。何よりも小田急さんがロマンスカーの安い運賃で、わずか1時間30分余りで別世界に運んでくれるのです。
熱海の出身の私が、箱根湯本温泉にホテル天成園を開業してもう12年目を迎えました。もともとは、天成園という小田原城主の家系の別邸のあった敷地に、約60年前に開業した温泉旅館でした。箱根湯本を代表する名門老舗旅館として知られていましたが、老朽化も進んでいました。回りまわって縁ができ、私が買うことになったのです。しかし、それまで各所に温浴施設「万葉の湯」を展開していましたが、ホテル宿泊施設に取り組むのは初めてでした。古希を越えての決断でした。
箱根の名門旅館を壊すな、という声も聞こえてきましたが、100室の部屋数の古い建物を解体して198室のホテルを建設しました。ホテル、旅館は装置産業ですから、建物、施設が充実していなければなりません。すべて新しくしたことが今日の成功につながっていると思っています。開業時からのコンセプトは「新時代のホテル、使い方いろいろ」です。新宿から1時間30分という距離感から、温泉に入ってリラックスルームで寛ぎ、ランチバイキングやウェルネスを体験し日帰りで帰る、そんな楽しみ方もできます。
部屋はエコノミーを多くして、駐車場を新設し、部屋出しの食事をやめました。けれども家族でも楽しめるよう食卓の周りを仕切り、ゆっくり食べることのできる個室も作りました。貸し切りの個室で露天風呂も付いた部屋も12室ありますし、施設内は各種サウナや岩盤浴、リラクゼーションなども充実しています。それは、敷居を低くして現代の時代に合うホテルをと考え、「大衆」を意識したことによります。言うなら東京の女子学生が卒業旅行で利用できるようなホテルを作ろうと考えたのが始まりです。その狙い通り、若いグループや、カップルが増えています。2009年12月16日、天成園はオープンして12年、今では箱根湯本温泉のリーダー的存在になりました。
86歳の現役に席を温める暇なし
私は、熱海の酒屋の長男として生まれました。高校時代はカメラが好きで卒業後は家業を手伝いながらアルバイトで撮影など写真関係の仕事をしていました。その後海外メーカーのフィルム中心に扱うDPEチェーンの日本ジャンボーを上場会社に成長させました。しかし、90年代半ば「デジタル化が進むのは早いでしょう」というメインバンク幹部のアドバイスがありました。次に何をやるかと考えて、目を付けたのが勃興期の日帰り温泉でした。当時スーパー銭湯などが誕生していましたが、同じことをやっていては勝てるわけがありません。1997年4月開業した第一号店の「東京・湯河原温泉 万葉の湯」は、東京町田市鶴間に湯河原の温泉をタンクローリーで運び、湯河原の高級旅館の佇まいとおもてなしをする施設としました。10年間で35億円の経常利益を上げるほど成功したのです。その後、小田原、博多、伊豆、横浜みなとみらい、京都など全国12カ所になりました。宿泊もできるようにしてほしいというお客さんの要望もあり、経営不振に陥った地元の老舗高級旅館の建て直しの依頼と重なって展開してきました。それらを万葉グループの傘下に入れ、日帰り温泉サービスも加えて地元の方たちに喜ばれるようになったのです。
余談ですが、2011年3月11日の東日本大震災の時は、温泉を運ぶ大型タンクローリーを所有していることから全国から温泉を運んでやってくれという声がたくさん来ました。5、6回東北に足を運び、宮城県大崎市の鬼首(おにこうべ)温泉が使えそうだということが分かり、市長に話をして了解を得て、鬼首温泉を東松島市に運び込み、被災者の救援活動にあたりました。一週間に一度くらいの割合で現地に行き、温泉を5か所に運び、被災者の悩みも聞きました。約50日間の活動でしたが、市長が最後の日、お礼のパーティを開いてくれて、一緒に活動にあたった15人の自衛隊員の皆さんも敬礼で見送ってくれたのです。大感激でした。今年も3月11日は現地に行き、現地の酒屋の次男坊と冗談を言い合ってきたところです。
私は現在86歳になりますが、日々の経営をおろそかにしてはいません。毎日届く、宿泊何人、日帰り何人という報告をチェックし、翌日になると日報と、2週間後には全国の施設の売上げに目を通しています。すべての数字を管理しながら大きな指示はしますが、営業などはすべで社員に任せています。写真事業から温浴施設事業へと大胆な転換をして30年になろうとしています。社員もよくついてきてくれたと思います。「人と同じことをやっていても仕方ないだろう」、「机上で考えるな、現場を見ろ」と社員には口を酸っぱく言ってきました。間もなくコロナの蔓延防止策が解除され、忙しくなるぞ、と言っていますが、幸い今日まで天成園から従業員・お客様からクラスターなどの発生はありません。にぎやかな箱根の春がもうすぐそこに来ています。(談・文責編集部)
たかはし ひろし
1935年静岡県熱海市生まれ。静岡県三島南高校卒後、家業である高橋酒店の仕事に従事する。58年アルプス写真(現・日本ジャンボー)を創業。97年万葉倶楽部創業。都市型温浴レジャー施設の先駆となる。万葉倶楽部ホテルオペレーションズは、箱根湯本温泉天成園をはじめ7カ所。万葉倶楽部施設は全国10カ所になる。