1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。
これまで関わってきた映画で、振り返って最もミラクル(奇蹟的)だと感じるのは『私をスキーに連れてって』(1987)だ。僕にとって初プロデュース作品とも言える映画だが、スタート時は完成すら危ぶまれていたからだ。
日活撮影所でのオールラッシュ(スタッフ用)間近の試写の時に、同僚たちのヒソヒソ話で「フジテレビも遂に公開出来ない映画を作ったかも……」というのを聞いてしまった。僕自身も心の中では、否定する言葉を持てなかった。
企画は、スキー&ユーミンフリークでもあるホイチョイ・プロダクション代表の馬場康夫氏だ。
ホイチョイは成蹊大学の付属小学校時代からの同級生である仲間で立ち上げた、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で4コマ漫画「気まぐれコンセプト」を連載する(現在も!)などのコンセプト・クリエーター集団だ。
出会いは『子猫物語』(1986)。『南極物語』(1983)から映画のヒットで勢いに乗るフジテレビは、『子猫物語』の宣伝でホイチョイ・プロダクションにいろんなアイデアを出してもらった。
当時、馬場康夫氏は日立製作所の広報(宣伝)に勤めるサラリーマンでもあった。
たとえば、こんな事があった。
『子猫物語』の社内宣伝会議(当時は河田町のフジテレビ内)で、座長が我々に、「頭使ってもダメなら金使え! 今は金はあるんだから……」と。
何故かその会議にはホイチョイ・プロダクションが同席している。その数日後の「気まぐれコンセプト」にはしっかり、その模様が4コマ漫画で「頭使ってもダメなら金使え!」という風に掲載された。
こんな宣伝のやり方もあるのかという感じだが、そのお陰で、ホイチョイチームと知り合うことになった。
『子猫物語』は無事に大ヒット。そして運命のシナリオ「スキー天国」(仮題)の台本を渡され、読むことになった。