文=箱根駅伝ミュージアム館長 勝俣真理子
箱根彩彩 2018年1月1号より
受継がれるマラソンの父、金栗四三の思い
今やお正月の風物詩といっても過言ではない「東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)」の往路ゴール・復路スタート地点のすぐ近くに私の勤務する〝箱根駅伝ミュージアム〟があります。
2005年3月のオープンから 12 年余り、延べ 70 万人を超えるお客様をお迎えすることが出来ました。箱根駅伝の主催者である関東学生陸上競技連盟と箱根町の後援をいただき、一年間を通して箱根駅伝の歴史や各大会の真剣勝負の熱気を感じることのできる、日本で唯一の施設です。
箱根駅伝の始まりは「マラソンの父」と称される金栗四三氏が1912年ストックホルムオリンピック大会に出場したものの途中棄権となった苦い経験から、世界に通用するマラソンランナーの育成が必要と考え、より多くの選手を育成するための手段として駅伝を考案したことに因ります。「箱根から世界へ!」の思いは今も変わることなく箱根駅伝に係わる全ての人達に受継がれています。
2018年1月は第94回 大会ですが、第1回大会の1920年から2020年東 京オリンピック大会開催の年には、 箱根駅伝も101年目を迎えることになり、オリンピックとの深い縁を感じています。
箱根駅伝を見守る開運の箱根神社
このように長い歴史のある箱根駅伝ですが、幾多の困難を乗り越え今に至っています。そのひとつが日中戦争の影響で駅伝のコースである道路が使用禁止となり途絶えた箱根山への縦走でした。しかし1941年には「東京・青梅間大学専門学校鍛錬縦走大会」が開催され、青梅の熊野神社が折返し地点となりました。
その後太平洋戦争で日本中から全てのスポーツが姿を消し軍事教練が行われる中、箱根駅伝の開催を目指した人々の努力により1943年は「紀元二千六百三年靖国神社・箱根神社往復関東学徒鍛錬縦走大会」として開催にこぎつけました。お気付きかもしれませんが、両大会共に東京を出発し行く先は神社です。この戦時下は「戦勝祈願」と謳い開催の許可を得たのです。こうして箱根神社の歴史と伝統は脈々と次の世代に受継がれ、「箱根駅伝」という目に見えない襷を繋いで、今では多くの人々を魅了する大会になったと感じます。
この縦走を見守り続けているのが箱根神社です。古来より関東総鎮守・箱根大権現と尊崇され交通安全・心願成就・開運厄除など、運開きの神様として信仰されています。平安朝初期に箱根路が開通し、往来の旅人が道中安全を願ったと聞くと、唯ひたすらに箱根山を目ざし往復200キロを超える道のりを2日間に亘って走る大学生達の道中安全祈願をせずにはいられません。
箱根に住む我々は事あるごとに杉の巨木に迎えられ、山懐に抱かれたお社に足を運びます。機会があったら、〝箱根駅伝ミュージアム〟から東海道を上り、箱根関所を越え杉並木を通り、芦ノ湖畔を箱根神社へ向かってみては如何でしょうか。
かつまた まりこ
1963年箱根町仙石原生まれ。高校時代は陸上競技部に所属し、日本体育大学女子短期大学卒業後、箱根富士屋ホテル株式会社入社。2004年から箱根駅伝に係わり、13年7月より、箱根駅伝ミュージアム館長。