湖畔のミュージアム

箱根彩彩 2019年1月1日号より

文=玉村豊男


観光地に流れる
日常の静かな時間

 朝の湖畔を歩いてみる。

 まだ人通りはほとんどない。

 それでも二人、夕べからの泊り客だろうか、桟橋の手摺りにカメラを固定してファインダーを覗いている女性客がいた。なにを狙っているのだろう。この場所からは、富士山は見えないのに。

 スワンボートの乗り場にさしかかると、切符売場の小屋から初老の男性が出てきて、ひとわたりあたりの様子を見渡した後、小さなボートに乗り移り、湖の水でタオルを洗いはじめた。これからはじまる一日の営業の準備だろうか。観光地が忙しくなる前の、静けさの中に日常の時間が流れる、こんな風景が私は大好きだ。

 絵を描こうと思って箱根にやってきた。

 私は、花やブドウなど、植物を写生する水彩画を描いている。たまに風景を描くこともあるが、それは外国を旅したときで、国内の風景を題材にすることはめったにない。今回は、自分の絵を常時展示してくれているミュージアムのある土地に敬意を表して、芦ノ湖から関所や箱根神社などを歩いて写真を撮っている。

観る人を優しく癒してくれる〝ライフアートミュージアム〟

わが名を冠した美術館の
〝ライフアート〟

 草や花は現物を目の前に置いて写生する。が、風景はその場で描くのではなく、撮った写真を自宅に持ち帰ってアトリエで制作する。写真をもとに鉛筆で輪郭をたどり、水彩で色をつけるので、 出来上がった絵はほぼ写真の通りになるのだが、だからこそ時間がかかる写生では描くことのできない、一瞬の人の動きを捉えた写真ならではの光景を再現したいと思い、風景の中に人が入ってくるのを待ってシャッターを切ることしている。

 芦ノ湖畔に自分の名を冠した美術館ができて、もう十年以上が経った。 花や果実など「生命」あるものを描くからライフアート、風景の中で「人生」の一瞬を切り取るからライフアート、私自身が「日常」の時間に絵を描くからライフアート、 描いた絵を毎日の「暮らし」の中で見てもらいたいからライフアート ……。

 ふだんの生活の拠点は信州の里山にあるので、箱根にやってくる回数は限られるが、元箱根に泊まって湖畔や神社などをゆっくり歩いてみると、もっと長く滞在すればもっと多くの「ライフ」の断片が見られそうだと、あらためて興味が湧いてきた。

 しばらくは信州の山居でカメラの中に閉じ込めた思い出を絵にしながら、作品ができたらそれを持ってミュージアムに帰ってこよう。


たまむら とよお

エッセイスト・画家・ワイナリー オーナー。1945年、東京生まれ。東京大学仏文科卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に留学。通訳、翻訳業をへて文筆業へ。91年長野県東御市に『ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイ ナリー』を開設、2007年、箱根に『玉村豊男ライフアートミュージアム』開館。最新刊に『花の水彩画 レッスン』など。

2019年1月1日 Vol.38より
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