プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
大学生河野實(マコ)と、軟骨肉腫に侵され21年の生涯を終えた大島みち子(ミコ)との3年間に及ぶ文通を書籍化した『愛と死をみつめて』が1963年12月25日に出版されるや、160万部を売り上げる大ヒットを記録し、64年の年間ベストセラーの総合1位を記録した。実際に交わされたマコとミコの手紙などをもとにした往復書簡集ではあるが、アメリカ映画『ある愛の詩』や、映画化され大ヒットとなった『世界の中心で、愛をさけぶ』などの純愛小説の先駆け的な存在だった。レコード化、ラジオドラマ化、テレビドラマ化、映画化されるなど、64年には一大ムーブメントとなった。いわゆる〝難病ドラマ〟の原点ともいわれており、これ以降、〝難病もの〟は、テレビドラマの一つのジャンルとして確立されることになる。
一番早かったのは、1月14日に放送されたニッポン放送でのラジオドラマ化で、まことを山本學、みち子を北沢典子が演じた。64年のレコード大賞に輝いた青山和子が歌う「愛と死をみつめて」がリリースされたのは7月5日だった。当時コロムビアのプロデューサーだった、酒井政利が原作本と出合い、往復書簡という体裁に新鮮な魅力を感じ、あえて若手作家が作ることで素直に表現できると考え、作詞を、当時明治大学の学生でレコード会社に詩を投稿していた大矢弘子に、作曲を新進の土田啓四郎に依頼し、18歳の青山和子に歌わせたという。9月9日には吉永小百合と浜田光夫コンビによる映画が封切られた。
そして、映画公開に先立つ4月12日と19日、前・後編に分けてTBS系列の東芝日曜劇場の枠で放送された。当時1話完結を基本としていた同枠始まって以来の2回に分けての放送で、脚本を担当した橋田壽賀子の、1時間にはどうしても収められないという主張が聞き入れられ、例外的に前・後編の放送となった。それ以降、「高瀬川」(山本富士子主演)、「正子絶唱」(和泉雅子主演)、「おさん茂兵衛」(池内淳子主演)、「亜紀子」(吉永小百合主演)、「雪の華」(十七代目中村勘三郎、森光子、杉村春子共演)、「家族」(山村聰、京塚昌子、香川京子、若尾文子、草刈正雄ら石井ふく子ゆかりの俳優が勢ぞろい)など、多くの作品が前・後編で放送されている。前編12.6%、後編16.9%と当時のテレビドラマとしては高視聴率ではなかったが、大きな反響を呼び、放送後1年以内に4度も再放送されることになった。1000回記念でもアンコール放送されている。マコを山本學が演じ、ミコを演じたのが大空眞弓だった。大空はこの役で、一躍〝ブラウン管のトップ・スター〟となり、多くのテレビドラマで活躍することになる。
大空眞弓は、58年に新東宝に入社し、映画『女王蜂』で女優デビューを果たす。その後、東京映画に移籍し、『喜劇 駅前女将』、『喜劇 駅前漫画』などの「駅前シリーズ」などに出演する。そのほかにも淡島千景、乙羽信子、森光子、池内淳子、淡路恵子、団令子など東宝の女優たちの共演による豊田四郎監督『台所太平記』、同じく豊田四郎監督で、仲代達矢が民谷伊右衛門を、岡田茉莉子がお岩を演じたほか、十七代中村勘三郎、平幹二朗、池内淳子、淡路恵子らも出演した『四谷怪談』に伊右衛門に懸想するお梅の役で出演。夏木陽介と共演した木下惠介監督『なつかしき笛や太鼓』、舟木一夫、緒形拳共演の大庭秀雄監督『永訣 わかれ』、岩下志麻、石坂浩二、中山仁、笠智衆、久我美子らと共演した中村登監督『日も月も』、佐分利信、京マチ子、仲代達矢、田宮二郎、香川京子、北大路欣也、二谷英明ら映画スターが顔をそろえた山本薩夫監督『華麗なる一族』、市川崑と豊田四郎の共同監督で、三田佳子、酒井和歌子、仁科明子(現・仁科亜希子)と4姉妹を演じた『妻と女の間に』などが記憶に残る。だが、大空眞弓が女優として輝きを見せるのはテレビドラマにおいてだった。