プロマイドで綴る
わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々が甦る。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
成瀬巳喜男の『女が階段を上る時』、小津安二郎の『小早川家の秋』、黒澤明の『椿三十郎』『赤ひげ』と、巨匠と呼ばれる監督作品にも出演しているが、団令子と言えば『お姐ちゃん』シリーズである。もちろん、『小早川家の秋』でのちゃっかりした現代っ子ぶりも、『椿三十郎』でのおっとりした入江たか子との母娘も面白かったが、やはり明るい都会的なセンスの東宝映画の中で団令子は輝いていたように思える。生粋の東宝女優といった印象だ。『お姐ちゃん』シリーズは、〝アンパンのヘソ〟とあだ名されるファニー・フェイスの団(パンチ)、奇声が特徴的な中島そのみ(ピンチ)、脚線美の重山規子(センチ)のトリオで、昭和34年の『大学のお姐ちゃん』から、昭和38年の『お姐ちゃん三代記』まで、8作が作られたドタバタ喜劇で、どこかアメリカのコメディドラマを感じさせるちょっとハイカラで、カラッとした娯楽映画。
僕が一番憶えているのは昭和36年の『ベビーギャングとお姐ちゃん』だ。漫画家・岡部冬彦原作の人気漫画『アッちゃん』『ベビーギャング』とドッキングさせた映画で、ベビーギャングことアッちゃんを演じたのは当時6歳の五代目中村勘九郎(後の十八代中村勘三郎)で、お姐ちゃんたちの恋のさや当てがベビーギャングにかき回されるという、とにかく明るいホームコメディ。団令子のコケティッシュで、都会的で、茶目っ気があって、健康的なお色気のモダンな姐御肌ぶりは、小学生から見ても憧れのお姉さんだった。
団のキャラは『大学の若大将』、『社長道中記』、『ニッポン無責任野郎』といった、東宝の人気シリーズにも欠かせない女優だったが、どちらかと言えば、ヒロインのライバル、ご亭主を誘惑する魅惑的な〝台風の目〟的な女性といった役まわりだったような気がする。今一度見直してみたいのは、須川栄三監督『ある大阪の女』(昭和37年)の貧苦の中を身体を張って生きる悪女、恩地日出夫監督『女体』(昭和39年)の暗い過去を持つ女の役だ。そして、テレビ「火曜サスペンス劇場」の前身で、人気女優たちが主演を務めた人気番組「火曜日の女」シリーズの一編「喪服の訪問者」の団令子には鬼気迫る恐さがあった。団令子が日本映画史を飾る人気女優の一人であることは、昭和34年「週刊平凡」の創刊号表紙を、当時の名物アナウンサー高橋圭三と共に飾っていることからもわかるだろう。
文:渋村 徹(フリーエディター)
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
プロマイドのマルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
あなたが心をときめかせ、夢中になった、プロマイドを買うほどに熱中した昭和の俳優や歌手を教えてください。コメントを添えていただけますと嬉しいです。もちろん、ここでご紹介するスターたちに対するコメントも大歓迎です。