プロマイドで綴る
わが心の昭和アイドル&スター
企画協力・写真提供:マルベル堂
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
昭和45年、阿久悠作詞の「白い蝶のサンバ」がヒットし、テレビで早口言葉のように歌う森山加代子を見たとき、小学生の頃に憧れていた隣のお姉さんに久しぶりに会えたような懐かしさと嬉しさを感じた。この曲のヒットで、森山加代子は8年ぶりにNHK紅白歌合戦に返り咲き、〝華麗なるカムバック〟などと言われた。昭和35年、“ティンタレラ ディ ルナ”の歌詞で始まる「月影のナポリ」で森山加代子がデビューした時、僕はまだ未就学児だった。もちろん歌詞の意味なんかわかるはずもないが、耳で覚えたでたらめな歌詞を適当にメロディに乗せてよく歌っていた記憶がある。「メロンの気持」「月影のキューバ」「可愛いベイビー」「五匹の仔豚とチャールストン」など、外国のポップスに日本語の歌詞を当てた曲がヒットしていた時代である。ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、弘田三枝子なども出ていたが、僕の贔屓は〝かよちゃん〟こと森山加代子だった。そして昭和36年にリリースされたのが「じんじろげ」である。この曲は日本のオリジナルで、まじない言葉のような歌詞が面白くて、子供たちにも人気だった。「じんじろげ」はその年の流行語になった。
同じマナセプロの所属だったからなのだろう、九ちゃん(坂本九)との共演も多く、『アワモリ君乾杯!』『アワモリ君西へ行く』『九ちゃん音頭』などの映画では九ちゃんの相手役と言えば森山加代子だった。息の合った名コンビぶりは、恋人同士ではないかと噂が立つほどだった。当時、九ちゃんは子供たちにも人気の歌手でタレントであり、映画やテレビでの共演が多い二人を見て、僕も、子供ながらに恋人同士だとマセたイメージを勝手に描いていた。九ちゃんの映画では歌うシーンも多く、必ずと言っていいほど、ダニー飯田とパラダイスキングが一緒に出演していたことも思い出す。そう言えば、今年亡くなったジェリー藤尾もよく一緒に出ていた。
この4組の中では、NHK紅白歌合戦の初出場は森山加代子が一番早く昭和35年、続く36年には坂本九とジェリー藤尾も初出場、そして37年にはダニー飯田とパラダイスキングも初出場を果たし、4組が出そろった。ちなみに昭和35年と36年の司会は紅組が中村メイコ、白組は、当時NHKの人気アナウンサーだった高橋圭三で、37年は紅組森光子、白組は高橋圭三の後を継ぐ形でNHKアナウンサー宮田輝のコンビだった。宮田も後に「ふるさとの歌まつり」などの司会で人気アナウンサーとなる。こうして懐かしい名前を並べてみると、そして一昨年に森山加代子が鬼籍に入ったこともあわせて、昭和は遠くなりにけり、とつくづく実感する。
文:渋村 徹(フリーエディター)
プロマイドのマルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
あなたが心をときめかせ、夢中になった、プロマイドを買うほどに熱中した昭和の俳優や歌手を教えてください。コメントを添えていただけますと嬉しいです。もちろん、ここでご紹介するスターたちに対するコメントも大歓迎です。