区立公会堂の特設演芸ホールで人の世の人情に浸る落語四席
〇月×日 落語はホール落語も盛んだ。私がよく行く、雑誌『サライ』主催の「人形町らくだ亭」は、区立日本橋公会堂の定員四〇〇名余・二階席まである立派な「日本橋劇場」が使われる。
その第七六回。開演に集まる客は皆さん常連のようで、ロビーは「やあやあ」と賑やか。会社を終えてかけつけたらしいスーツ姿に黒カバンも多い。公営ホールらしく「公演の録音録画はお断り、携帯電話は……」云々の場内アナウンスは野暮だが仕方がない。テンテケテンと出囃子鳴り、前座に続いて本日は噺家四人の四席だ。
まず一席は桂宮治「つる」。愛敬あるてらてらヤカン顔を「アンパンマンです」とくすぐって、半腰に立ち上がりそこまでやるかの大熱演。演目ビラがめくられて二席は柳家さん喬「初天神」。おだやかに座り「まあ熱演ですナ」と軽く揶揄して羽織を脱ぐ余裕が高座の空気を変え、初天神に連れてけとねだる子供に「何も買わないぞ」と約束させるが次々に子供の策にはまる微苦笑噺が正月明けにふさわしい。
仲入り休憩後の三席は古今亭菊之丞「景清」。見えない眼が開く願掛けをあちこちにするが一向にラチがあかず、賽銭ばかり取りやがってと啖呵を切り……。やや細身の体にすっきりした勢いのある芸風。最後にめでたく願が叶う時の上野不忍池の情景描写がすばらしい。サゲに替わる「目の出ない方に目がひらくお目出たいお話でございます」で閉じ、新年今年こそはと気持ちよい拍手がわく。
トリは本日の主任・古今亭志ん輔。志ん輔師匠は私が最も高座を見ている噺家で、二つ目「朝太」の頃から俳句会で一緒の仲だが、真打ちを経てすっかり名人になりもはやタメ口も使えなくなった。今日は、師の志ん朝も得意とした廓噺の古典演目「お見立て」。
吉原の花魁・黄瀬川は、千葉流山の田舎者お大尽・杢兵衛に惚れられて今日も離れで待つのに嫌気がさし、使い走りの牛太郎に「居ないと言って帰しとくれ」と頼む。牛太郎は仕方ねえなと言い訳するが、意外やしたたか者のしつこい食い下がりに、「病気」「病院はどこだ」「面会だめ」「オラだと言ってくれ」「じつは死んだ」「(絶句)葬式はいつだ」「もう済んだ」「墓はどこだ」と窮地に追い込まれる。
「待ってました!」の大向こうあってゆっくり登場した師匠は、おもむろにまくらの話題。その声もほどよくしゃがれ、年齢なりの「枯れ」がにじんで来たかなと思ううち、本題に入ると、次第に熱気を増し、牛太郎の「うまく逃げた」と安堵する顔に飛びかかる逆襲に大口を開けて絶句、「あわわ」と口をぱくぱくさせる十八番の表情に満場が爆笑する。
この演目は川島雄三監督一代の傑作『幕末太陽傳』(一九五七)に「居残り佐平次」「品川心中」とともに使われ、私は終盤近いその場面のフランキー堺と市村俊幸を思いだしながら聞いた。最後は無いはずの墓参りに行きあちこち適当に教えるが「ナムアミダブ……こ、こったら子供の墓でねえが、本当の墓はいったいどこさだ?」「ええい、負けた、よろしいのを見立ててくだせえ」とサゲ、大拍手で幕に。落語とはすごいものだ。筋書きのわかっている話が演者によってこうも生き生きするとは。
終えたロビーの客はしばし帰らず、今日のあの出来はよかったなどと寸評が始まる。有名噺家をタレント的に追いかける山の手とちがい、ここ下町人形町は、若いうちから目をかけ、その成長を見てゆく懐の深さを感じる。
苦笑、爆笑しながら時にほろり、人の世の人情まだ捨てたものではないと幸福な気分にさせて終わる落語とは何と良いものか。そこに自ずと演者の人間味が加わり、年齢とともに独自の世界を作ってゆく。志ん輔師匠、四月の国立演芸場「志ん輔の会」は「居残り佐平次」という。これも行かなくちゃな。