男の小鍋には主役の一品と青物だけで粋に愉しむ
また男の鍋は一人の小鍋立に限る。鍋の魅力は言うまでもなく自分で料理すること。一人ならば好きなものを好きな順に、煮えばなを見逃さず口に入れられる。牡蠣と豆腐を入れ火加減を見て、手酌した酒をツイーとしばし待つ充実感。豆腐がぐらりと揺れたらフーフーして一口。三つ葉は濡らすだけでいい。一人だから仕事がある方がいい。いいですなぁ冬の男の一人鍋。
秋田は小鍋立の王国で、名居酒屋「酒盃」は、ハタハタとしょっつる(塩魚汁)、鯨と茄子、白魚と蓴菜などを帆立の貝殻で煮る。これが出汁が出る。同じ秋田の居酒屋「北洲」は「いか鍋」がいい。土鍋のおつゆはイカワタ入りの味噌仕立てに、さらにイカ塩辛を入れ、むせるように濃厚だ。また能代「酒蔵 千両」の「身欠きニシン鍋」は「ひろこ」という香りとアクの強い細葱が相性だ。
京都の、その名も「小鍋屋いさきち」は、あさりと大根、しじみと大根、水菜と揚げ、白菜と豚、三つ葉ときのこ、にらもやしと鶏、じゃがいもと鶏、きんぴらと鶏など、鶏はすべて豚でもでき、その組み合わせを小鍋でさっと楽しむ。
そして鍋は食べ終るとすぐ片づけるのが肝心。煮え残しがいつまでもあるのは見苦しい。粋にやるのが酒飲みの小鍋だ。
遊郭に入る前の力づけ、さくら鍋の醍醐味
せっかちな江戸っ子に、目の前の煮えばなをぽんぽん食べる小鍋立は好まれた。ねぎま鍋、どじょう鍋、あさり鍋、鶏すき鍋、ふぐ鍋などなど。
日本堤、吉原大門近くの「桜なべ中江」は、遊廓(なか)へ入る前の精力つけに賑わった。後があるのでここでいつまでもぐずぐずしない。さっと食べ終える小鍋立一人前は、馬肉・白滝・葱・えのき・江戸菜・焼豆腐。どじょう鍋と同じという底が真っ平らな鉄鍋は火のまわりがよく、すぐにぐつぐつ来る。刺身で食べられる肉だから色が変われば食べ頃のおよそ二分だ。
市川團十郎の色紙がぴったりの畳表を敷いた板座敷の天井は、皮を残した桜の丸木梁がいい。四つの大額は谷文晁えがく『馬の春夏秋冬』で、天高く馬肥ゆる「秋」はやはり馬体が大きい。おっと煮えてきた。やわらかい馬肉はあっさりした中の旨みに清潔感がある。ぱくぱくぱく、肉をさっと食べ終え、後は火を弱めて具を楽しみながら燗酒をツイー。
徳利の馬の絵は先先代が描いたのだそうだ。現主人は四代目。
「肌つやがいいですね」
「え、まあ、馬の脂はお肌によいと女性に評判なんですよ」
最後に溶き玉子を鍋にかけまわして火を止め、小ご飯にのせた「玉子とじご飯」で仕上げ。
「いかがでしたか?」
「なんだか精がつきました」
「あっははははははは」
―― お後がよろしいようで。
おおた かずひこ グラフィックデザイナー/作家。『京都、おなじみのカウンターで』(淡交社)など。