がま池界隈に残る東京の宝もの
そこを久しぶりに歩いてみよう。カメラマンのヤスク二氏と麻布十番稲荷で待ち合わせ、暗闇坂を上った。「この戸、入れるの知ってます? 」という通用口のような引き戸を開けると、思わぬ視界が開けた広大な空き地だ。六本木の眺めが新鮮な高台で、十数年も近くにいてここは知らなかった。ヤスク二氏はこのあたりに生まれ育った人だ。さらに古い洋館ではこれが一番好きという家に目を見張った。無愛想に見えるコンクリートニ階建てながら屋上縁に回したコーニス(飾り縁)、縦窓の装飾三角破風、玄関のモザイク飾り、側壁にはイコンのようなタイル画もあり、子供のとき読んだ江戸川乱歩『少年探偵団』の〈誰が住むか判らない山の手の古い屋敷〉そのものだ。鬱蒼たる大樹に囲まれた敷地は広く、個人のお宅のようでそれ以上ははばかられたが、すぐ近所に十数年も住んでいて知らなかった。
その角は、暗闇坂・一本松坂・大黒坂の三つが集まる坂上で、名の通り松が一本立ち、〈ある武家が将門を征しての帰途此所に来り。民家の主が粟飯を柏の葉に盛って出した。翌日出立の時、武家は京家の冠装束を松の木にかけて行った〉という能の謡曲のような由来がある。
少し先の塀越しの大樹は江戸時代の五千石・山崎主税助の旗本屋敷で「がま池」のあった所だ。夜回りに出た家来が池の大がまに殺され、家主・治正はがま退治を決意したが、がまが白衣老人となって夢枕に立ち、詫びて、今後当家の防火に尽すと誓った。その後文政のころ古川の大火はここまで伸びたが、池の大がまが水を吹きつけて火を防いだという。その古事により防火札「上の字」が流布。今は麻布十番稲荷で紀られる「蛙/ かえる」になった。話は今日の出発点にもどった。広大ながま池はマンション開発でしだいに縮小、先頃ついに消えたという噂だ。まことにデベロッパーの開発ほど罪なものはない。池のがまを住めなくして防火は大丈夫か。
しかし宮村町の長屋群はそのまま残っていた。都心元麻布の地にこれは奇跡だろう。各家は煙突があり二階には物干し、風鈴が下がり、緑の鉢がいくつも並び、ラジオが聞こえる。家を抜けた先の小さな石段を上がるとき魚を焼くいい匂いがした。その石段を上がると本光寺だ。
私は心底ほっとした。これは東京の宝だ。そして、人の住む場所にみだりに足を踏み入れたことを詫びた。ここを訪れるのはもうやめよう。そう決心してもう一度眺め、足を引き返した。心に温かいものが残った。
おおたかずひこ グラフィックデザイナー/作家
私の東京路地ベスト5 東銀座~築地、本郷三丁目~菊坂、元麻布~有栖川公園、月島~佃、湯島~上野御徒町