本郷菊坂通り界隈
本郷4丁目と5丁目の間の坂が菊坂である。菊坂の地名は、昔この辺りが菊畑だったことに由来する。坂の傾斜はゆるやかで両側のいくつもの小さな坂(金魚坂、炭団坂、本妙寺坂、胸突坂、鐙坂)が菊坂につながる。周辺には関東大震災や戦災の被災を免れた木造の家々が建ち並び、求道会館、本郷館など歴史的にも貴重で興味深い建築物がある。明治大正時代、本郷界隈にはたくさんの文士が集まったという。路地裏には樋ロー葉の旧居があり、今でも住民の生活に使われている掘抜井戸は一葉も使っていたかと思うと感慨深い。近くには宮沢賢治旧居跡や、「啄木ゆかりの地」の碑、一葉が通っていたという「伊勢屋質店」。当時の文士たちの生活や名作が生まれた背景を思いながら、文学散歩も楽しめる。
旧東海道品川宿界隈
品川宿は日本橋から京の都へ向かう東海道の最初の宿場だった。宿内の家は1600軒、住人7000人という活気ある地で、北の吉原に対して南の品川といわれる遊興地でもあった。江戸時代の名残が沿道の履物屋や畳屋の佇まいにあり、品川浦の舟溜まりは古い時代の漁師町の面影を残している。水路には屋形船も停泊し、岸辺の古びた建物の向うには現代的な高層ビル群がそびえる。目黒川の河畔、品川橋よりやや上流側の左岸の荏原神社は、709年(和銅2)に創建されたという。境内は鬱蒼と木々が茂り市街地の中にあって神域の佇まいを見せる。厳かな気持でお参りするのもよいものである。
麻布がま池界隈
500坪もあったがま池は、昭和8年に半分近くが埋め立て、分譲されて戦後もマンションの建設でわずかに残されるのみとなってしまった。陸の孤島とされていた麻布十番も平成12年に麻布十番駅が完成し、地下鉄南北線と大江戸線が相次いで開通。平成15年には隣接する六本木6丁目に六本木ヒルズが開業するなど、麻布十番の環境は一変した。大使館も多く点在し国際色豊かな華やかな街になったが、古くは、麻布村に属する低湿地帯であったこの界隈の移り変わりを宮村町の長屋群が物語っている。
佃~月島界隈
佃は摂津国佃村(現大阪府)から、江戸幕府の意向で移住した漁夫たち30余人が島を築き、白魚漁などを生業にした人々が住んだ町で、「佃煮」の発祥の地としても知られている。佃界隈は、古い家屋の残る江戸風情を感じる懐かしい風景と大川端リバーサイドの超高層ビル群のコントラストが妙にマッチしている。狭い路地の中ほどに「佃天台地蔵尊」。銀杏の大本の幹を残す形で、丁寧に祀られているのが驚きだ。この地の鎮守「住吉神社」も佃の歴史とともに建立された。銅のお賽銭箱が何とも立派だ。明治20年から埋立てによってできた月島は、もんじゃ焼きの町として知られるが、一歩路地を入るとタイムスリップした昭和の風景に出合う街である。