2017年7月1日号「街へ出よう」より
かつて青山練兵場があった30万平方メートルの明治神宮外苑。
文化芸術、心身の鍛錬の場となるべく球場や球戯場などの諸施設が並び、
その中心にあるのが、聖徳記念絵画館である。
御降誕から大喪の儀まで、明治天皇と昭憲皇太后のご事績を
80枚の絵画で展覧できる壮大な美術館を訪ねて、
「明治150年」に思いを馳せるよすがとしたい。
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聖徳記念絵画館
~激動の明治時代を絵画でたどる~
文・太田和彦
明治天皇の鎮魂と遺徳を伝えるにふさわしい建築
青山通りから脇に入る、長さ300メートルの銀杏並木は東京で最も美しい場所と言えるだろう。初夏の若葉、真夏の緑、秋は黄金色、冬の落葉は金色の絨穂となる。四列の並木は奥に行くほど少しずつ背を低くして求心性を強調してある。その正面が重要文化財「聖徳記念絵画館」だ。明治42年、皇太子の住まいに建てた東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)の雄大華麗に比べ、中央正面に丸いドームを置いた左右両翼。花崗岩を積み上げた灰色一色の外観は神聖といえるが、明治天皇の遺徳を伝える絵画を展示する建物だからだ。
大正8年起工、7年を費やして15年竣工。その間大正12年の関東大震災時は工事を中断し、建築足場で敷地内に病院、浴場、公営市場などを造って罹災者6400人を収容したのは、遺徳に奉じるという建物の趣旨にかなえたのだろう。
正面大石段を上がった四角いホールは直線を主体に構成。並ぶ灰色大理石柱の垂直に導かれるように見上げる27メートル上は一転して、四方を回廊風に囲んで直径15メートルの白一色円形ドームを椀を伏せたように乗せる。開けた天窓から差す自然の光はおのずと聖性を醸しだす。
ホールは直線直角、天井は包容する曲線と明快に分けた設計は、同時代のウィーンでおきた新建築様式「セセッション」と共通し、私のいちばん好きな建築様式だ。「鎮魂と遺徳」を旨として、生命感のある植物などの華美な彫刻は置かず、連続模様、控えめなアクセント金鋲、要所の紋章レリーフなどの抽象装飾は永遠性を高め、人工着彩の全くない天然石と白石膏だけの色合いがさらに禁欲性を表す。華美を慎みながらもほとばしる設計者、施工者の祈りのような意識の高さ。崇高と装飾、古典とモダンの調和はすばらしい。
見どころは、ここだけは少し彩りをと考えたような青、茶、赤などの大理石を駆使した床だ。そのすべてが岡山、山口、愛媛、群馬、福島などの国産天然大理石。赤坂離宮はイタリアなどの輸入大理石で造られたが、こちらは日本産を意識し、各地の大理石を調査することから始めたそうだ。
世に「石好き」はいて私もその一人。様々な大理石の色合いや柄模様を見るのは楽しみだ。それとなく探しているのは化石で、案の定、地階に行く階段室に〈約3億年前、古生代の化石〉と小さく表示されて渦巻型が見えた。