文=なかにし礼
2011年4月1日号 PERSON IN STYLE《美しいとき》より
「感情を入れるのは役者なら誰でもできるが、佐久間君は感情を抑えた芝居ができる」
佐久間良子さんの初舞台『春の雪』を演出した菊田一夫の言葉である。美貌はもちろんのこと、その声、姿、演出家に応える勘の良さ、初舞台にして、舞台俳優の条件をすべて満たしているとの讃辞を送った。初舞台からすでに40年余、その「貌・声・姿」には、いささかの衰えもない。それどころか、女優の年輪が加わり、陰影ともよべる奥行がにじみでる。
そして、常にさらなる可能性を求めて前進を続ける。挑戦する女優一佐久間良子」、その姿には芳しきロマンが香り立つ。
スクリーンに映る女優は限りなく美しく哀切であった
佐久間良子という女優が清純派から演技派に転向したのは言うまでもなく、金閣寺炎上事件を題材にした水上勉原作の『五番町夕霧楼』(田坂具隆監督、一九六三年) であった。当時、私はよだ立教大学の学生で、映画を観てあまりに感動し、どう手に入れたのかは忘れたが、その映画のポスターを下宿の壁に貼って飽かず眺めていた。逆さに映った佐久間良子扮する夕霧楼の夕子は限りなく美しくまた哀切であった。いや淫らでもあった。
そのすぐ後に封切られたのがご存じ尾崎士郎原作の『人生劇場・飛車角』(沢島忠監督、一九六三年) で、飛車角(鶴田浩二) の女でありながら、その弟分の宮川(高倉健) と恋に落ちてしまう、おとよという女を佐久間良子はそれはそれは見事に演じきった。これもまた美しく哀切で、顔といい声といい姿といい、なにかもうたまらないものがあった。かくて私は佐久間良子の決定的ファンとなったのだが、三十数年後、その女性と一緒に仕事をすることになろうとは、むろん夢にも思っていなかった。
世界劇と名付けた音楽劇(主催・東京電力) を私が作・演出・総監督をつとめて平成元年から年に一度、武道館でつづけている。『ヤマトタケル』(三枝成彰作曲) を十年間、そして市川團十郎と市川新之助(現・海老蔵) の協力を得て『眠り王』(小六禮次郎作曲)を五年間やった。三千人のコーラスとオペラ歌手が歌い上げ、ジャンルを越えて集まった役者たちが演じ、麿赤児と大駱駝鑑が踊る。雄大かつ幻想的、これに優る音楽劇は世界にないのではなかろうかと自負するものだが、これを観た石原慎太郎東京都知事がミレニアム記念に新しい題材でなにか世界劇をやってくれという。
そこで私は考えた。