16.03.15 update

監督たちのいかなる要望にも見事に応える、懐の深い女優─淡島千景

雑誌¿Como le va? vol.27 表紙・早田雄二写真シリーズ第7弾より


映画『夫婦善哉』や『駅前シリーズ』では森繁久彌と、東宝歌舞伎やテレビドラマ「半七捕物帳」では長谷川一夫と、NHK大河ドラマ第1作「花の生涯」では二代目尾上松緑と、映画版『花の生涯』やテレビドラマ「鬼平犯科帳」では松本白鸚と、さらには萬屋錦之介、大川橋蔵とも、という具合に、淡島千景という女優には女座長としての顔とともに、主演男優を引き立てる最高の相手役としての横顔がうかがえる。直球でも、いかなる変化球でも自在に受けとめてくれる女房役がいればこそ主演の男優は安心して、のびのびと自身の芝居に専念できるのだ。また、渋谷実、小津安二郎、豊田四郎、成瀬巳喜男、今井正、五所平之助と錚々たる映画界の名匠たちの作品にも多く出演していることは、淡島が監督たちのいかなる要望にも見事に応える女優である証だろう。淡島千景は、懐の深い女優であった。

蝶子か淡島か、千景か蝶子か

文=黒鉄ヒロシ

 柳吉が蝶子に言う。

 いや、森繁久彌が淡島千景に言う。
「頼りにしてまっせ、おばはん」

 昭和十五年に発表された織田作(作之助)の原作を、三十年に豊田四郎が映画化した『夫婦善哉』のラストシーンの有名な科白である。

 勿論、主役は柳吉であり、映像では森繁であるが、活字でも重要なのは蝶子の存在であり、すなわち淡島だが、役者として張り合うとか、がっぷり四つではなく、いわば「人」という字のカタチの、長い方が森繁、短い方が淡島という絶妙なバランスの支え方である。

 この際は本家である織田作の原作はさて措く。

 森繁は、蝶子役に淡島を得て、得をしたなあと思わせるが、一方の淡島は損得の俗の域を超えて、その芸名の如く、淡淡と地でいくように演じているかのように見える。

 森繁も上手いが、男と女の役どころを逆転させて、ユーモアの背中を押す縁の下の力持ちを果たした功績は、淡島の素(す)の人柄に負うところが大きいのではないか。

 淡島の私生活については、熱烈な巨人ファンであること以外は、ほとんど知らない。

 時代と年齢によるものか、スキャンダルも耳には届かなかったが、私生活を支えに女優業の息を継ぐタイプではないように思う。

 作品歴を見ても全くに、後半期に差しかかったデ・ニーロのように、こだわりがないように感じる。

 まるで、深いところで人生の意味を悟っていたかのようだと書くと、スクリーンの中の蝶子の科白まわしで「いやあねぇ、そんな上等なもんじゃありませんよ、ま、おひとつ、ささ、おひとつ―」と、煙(けむ)にまかれるような気がする。

 数々の、ピンからキリまでの賞の類いが、業績を正当に評価しているとは限らないが、ブルーリボン賞主演女優賞の第一回と第六回の二度の受賞歴も本格派を主張するが、淡島はまたもや蝶子の声音で「いやあねぇ」と、いなしてしまうだろう。

 豊田の他にも、小津安二郎、今井正、市川崑、成瀬巳喜男、木下惠介等々、名監督の作品に多く起用されていることを見ても、玄人好みの女優であったことが判る。

 また「いやあねぇ」の淡島の声が聞えた気がするが、かまわず誉めまくりたい。

 和モノ洋モノを問わず、舞台も重要な役柄を数多くつとめてもいる。

 どこから見ても大女優の経歴と貫禄とに異を唱える声はなかろう。

 平成二十四年(2012)、女優、淡島千景は八十七歳を限りに人生を演じ終えたが、終えて初めて、遺された作品を思い出して、多くが彼女の凄さに気付かされたのではないか。

 死を受けても、メディアも世間も迂闊(うかつ)で、伝え方は〈大女優の死〉的な感じよりも、長生した老女優としての意味合の方が深かったように思う。

 ややあって、それにしても独特なスタンスであったなあと、死ぬまでそのことに気付かなかった彼女の凄みと軽(かろ)みに舌を捲いた。

 男は人工物で、女は自然物―が当方の持論だが、自然物の領域にあった筈の淡島が、何の経緯あってかは知らないが、人工の才も獲得して役者の世界を軽やかに駆け続けたように見える。

©Yuji Hayata / JDC

素晴らしい女優さんで、舞台などでご一緒して教わることがたくさんありました。女優のお手本として拝見してきました。たくさんのお仕事をされた方で、淡島さんが休んでいることを見たことがありませんでした。─告別式に参列した女優・司葉子さんの言葉。

 女優は男優――とは、よく言われるが、淡島はもう一回りして知らぬ顔で女優のポジショニングに戻った。

 東京生まれ、遡った言葉で江戸っ子気質のようなものが影響しているのか、大正十三年(1924)という生まれによる人生経験が、様々な感慨を抱かせ、淡島千景なる女優として勃起したものか。 

 映画『夫婦善哉』の蝶子を観ると、未来に於いて「淡島千景の研究」がきっと成されるような気がする。

 朦朧体(もうろうてい)の画のように、輪郭は見せず、霞む景色の中にようやっと淡い島かげのようなフォルムを、見える眼には見せて、「いやあねぇ」と呟いてみせたところでエンドマーク。

あわしま ちかげ 
女優。1924年東京生まれ。成蹊高等女学校卒業後、39年に宝塚音楽舞踊学校に入学。その後、41年から50年まで宝塚歌劇団に所属、優れた美貌のトップ娘役として戦時中、戦後と歌劇団を支えた。退団後は松竹に入社し、デビュー作『てんやわんや』でいきなり第1回ブルーリボン主演女優賞を受賞。56年にフリー。63年のNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」ではヒロイン村山たかを演じた。映画、舞台、テレビドラマと数々の作品に出演、亡くなるまで第一線で活躍した。主な出演作に映画『善魔』『自由学校』『麦秋』『本日休診』『お茶漬の味』『カルメン純情す』『君の名は』『にごりえ』『夫婦善哉』(ブルーリボン賞主演女優賞)『早春』『日本橋』『螢火』(『暖簾』とあわせて毎日映画コンクール主演女優賞)『駅前シリーズ』『鰯雲』『暗夜行路』『人間の條件』『もず』『妻として女として』『大奥絵巻』『春との旅』、舞台『紅梅館おとせ』(菊田一夫演劇賞)『お市と三姉妹』『細雪』『新版香華』『ヴァージニアウルフなんかこわくない』『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』『華岡青洲の妻』『戒老録』、テレビ「赤穂浪士」「細雪」「真田幸村」「鬼平犯科帳」「思い橋」「おんな家族」「6羽のかもめ」「竜馬がゆく」「大奥」「春の波濤」「華岡青洲の妻」「春よ、来い」「芋たこなんきん」「渡る世間は鬼ばかり」などがある。菊池寛賞、紫綬褒章、勲四等宝冠章、牧野省三賞、NHK放送文化賞、山路ふみ子映画賞映画功労賞など受賞・受章歴多数。12年2月16日死去。享年87。

くろがね ひろし
漫画家。1945年高知県生まれ。68年に『山賊の唄が聞える』で漫画家としてデビュー。87年第18回講談社出版文化賞さしえ賞、97年『新選組』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、および第43回文藝春秋漫画賞を受賞。98年には『坂本龍馬』で第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。02年に『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞受賞、04年紫綬褒章受章。『信長遊び』『千思万考』『新・信長記』『GOLFという病に効く薬はない』『韓中衰栄と武士道』『本能寺の変の変』『刀譚剣記』など多数の著書がある。

映画は死なず

新着記事

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

  • 2024.11.20
    能登の子どもたちや被災者を、美しい音楽で励ましてく...

    被災者に勇気を与えるウイーン・フィルの活動

  • 2024.11.20
    指揮・坂本龍一✕東京フィルハーモニー交響楽団による...

    坂本龍一の伝説のコンサートを映画館で!

  • 2024.11.19
    ベートーヴェン「第九」初演から200周年の記念すべ...

    12月31日特別先行上映、1月3日から1週間限定公開!

  • 2024.11.19
    敷寝具から枕まで世界最大級の熟睡ブランド、〈マニフ...

    特別モデル【エコ サンドロ】限定3000台の予約開始!

  • 2024.11.18
    公募展の発祥地〈東京都美術館〉のテーマは「ノスタル...

    芸術活動を活性化させ、鑑賞の体験を深める

  • 2024.11.18
    女優「高峰秀子」と妻「松山秀子」─日本映画史に燦然...

    高峰秀子という生き方

  • 2024.11.15
    本格イタリアンをご家庭で、日清製粉ウェルナの「青の...

    応募〆切: 12月20日(金)

  • 2024.11.15
    京都のグンゼ博物苑で、昭和の激動時代の魅力を伝える...

    グンゼの創業の地で、「昭和レトロ展」

  • 2024.11.14
    「嵐」と並ぶシングル58曲連続トップテン入りを果た...

    THE ARFEE「メリーアン」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!