監督たちのいかなる要望にも見事に応える、懐の深い女優─淡島千景

雑誌¿Como le va? vol.27 表紙・早田雄二写真シリーズ第7弾より


映画『夫婦善哉』や『駅前シリーズ』では森繁久彌と、東宝歌舞伎やテレビドラマ「半七捕物帳」では長谷川一夫と、NHK大河ドラマ第1作「花の生涯」では二代目尾上松緑と、映画版『花の生涯』やテレビドラマ「鬼平犯科帳」では松本白鸚と、さらには萬屋錦之介、大川橋蔵とも、という具合に、淡島千景という女優には女座長としての顔とともに、主演男優を引き立てる最高の相手役としての横顔がうかがえる。直球でも、いかなる変化球でも自在に受けとめてくれる女房役がいればこそ主演の男優は安心して、のびのびと自身の芝居に専念できるのだ。また、渋谷実、小津安二郎、豊田四郎、成瀬巳喜男、今井正、五所平之助と錚々たる映画界の名匠たちの作品にも多く出演していることは、淡島が監督たちのいかなる要望にも見事に応える女優である証だろう。淡島千景は、懐の深い女優であった。

蝶子か淡島か、千景か蝶子か

文=黒鉄ヒロシ

 柳吉が蝶子に言う。

 いや、森繁久彌が淡島千景に言う。
「頼りにしてまっせ、おばはん」

 昭和十五年に発表された織田作(作之助)の原作を、三十年に豊田四郎が映画化した『夫婦善哉』のラストシーンの有名な科白である。

 勿論、主役は柳吉であり、映像では森繁であるが、活字でも重要なのは蝶子の存在であり、すなわち淡島だが、役者として張り合うとか、がっぷり四つではなく、いわば「人」という字のカタチの、長い方が森繁、短い方が淡島という絶妙なバランスの支え方である。

 この際は本家である織田作の原作はさて措く。

 森繁は、蝶子役に淡島を得て、得をしたなあと思わせるが、一方の淡島は損得の俗の域を超えて、その芸名の如く、淡淡と地でいくように演じているかのように見える。

 森繁も上手いが、男と女の役どころを逆転させて、ユーモアの背中を押す縁の下の力持ちを果たした功績は、淡島の素(す)の人柄に負うところが大きいのではないか。

 淡島の私生活については、熱烈な巨人ファンであること以外は、ほとんど知らない。

 時代と年齢によるものか、スキャンダルも耳には届かなかったが、私生活を支えに女優業の息を継ぐタイプではないように思う。

 作品歴を見ても全くに、後半期に差しかかったデ・ニーロのように、こだわりがないように感じる。

 まるで、深いところで人生の意味を悟っていたかのようだと書くと、スクリーンの中の蝶子の科白まわしで「いやあねぇ、そんな上等なもんじゃありませんよ、ま、おひとつ、ささ、おひとつ―」と、煙(けむ)にまかれるような気がする。

 数々の、ピンからキリまでの賞の類いが、業績を正当に評価しているとは限らないが、ブルーリボン賞主演女優賞の第一回と第六回の二度の受賞歴も本格派を主張するが、淡島はまたもや蝶子の声音で「いやあねぇ」と、いなしてしまうだろう。

 豊田の他にも、小津安二郎、今井正、市川崑、成瀬巳喜男、木下惠介等々、名監督の作品に多く起用されていることを見ても、玄人好みの女優であったことが判る。

 また「いやあねぇ」の淡島の声が聞えた気がするが、かまわず誉めまくりたい。

 和モノ洋モノを問わず、舞台も重要な役柄を数多くつとめてもいる。

 どこから見ても大女優の経歴と貫禄とに異を唱える声はなかろう。

 平成二十四年(2012)、女優、淡島千景は八十七歳を限りに人生を演じ終えたが、終えて初めて、遺された作品を思い出して、多くが彼女の凄さに気付かされたのではないか。

 死を受けても、メディアも世間も迂闊(うかつ)で、伝え方は〈大女優の死〉的な感じよりも、長生した老女優としての意味合の方が深かったように思う。

 ややあって、それにしても独特なスタンスであったなあと、死ぬまでそのことに気付かなかった彼女の凄みと軽(かろ)みに舌を捲いた。

 男は人工物で、女は自然物―が当方の持論だが、自然物の領域にあった筈の淡島が、何の経緯あってかは知らないが、人工の才も獲得して役者の世界を軽やかに駆け続けたように見える。

©Yuji Hayata / JDC

素晴らしい女優さんで、舞台などでご一緒して教わることがたくさんありました。女優のお手本として拝見してきました。たくさんのお仕事をされた方で、淡島さんが休んでいることを見たことがありませんでした。─告別式に参列した女優・司葉子さんの言葉。

 女優は男優――とは、よく言われるが、淡島はもう一回りして知らぬ顔で女優のポジショニングに戻った。

 東京生まれ、遡った言葉で江戸っ子気質のようなものが影響しているのか、大正十三年(1924)という生まれによる人生経験が、様々な感慨を抱かせ、淡島千景なる女優として勃起したものか。 

 映画『夫婦善哉』の蝶子を観ると、未来に於いて「淡島千景の研究」がきっと成されるような気がする。

 朦朧体(もうろうてい)の画のように、輪郭は見せず、霞む景色の中にようやっと淡い島かげのようなフォルムを、見える眼には見せて、「いやあねぇ」と呟いてみせたところでエンドマーク。

あわしま ちかげ 
女優。1924年東京生まれ。成蹊高等女学校卒業後、39年に宝塚音楽舞踊学校に入学。その後、41年から50年まで宝塚歌劇団に所属、優れた美貌のトップ娘役として戦時中、戦後と歌劇団を支えた。退団後は松竹に入社し、デビュー作『てんやわんや』でいきなり第1回ブルーリボン主演女優賞を受賞。56年にフリー。63年のNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」ではヒロイン村山たかを演じた。映画、舞台、テレビドラマと数々の作品に出演、亡くなるまで第一線で活躍した。主な出演作に映画『善魔』『自由学校』『麦秋』『本日休診』『お茶漬の味』『カルメン純情す』『君の名は』『にごりえ』『夫婦善哉』(ブルーリボン賞主演女優賞)『早春』『日本橋』『螢火』(『暖簾』とあわせて毎日映画コンクール主演女優賞)『駅前シリーズ』『鰯雲』『暗夜行路』『人間の條件』『もず』『妻として女として』『大奥絵巻』『春との旅』、舞台『紅梅館おとせ』(菊田一夫演劇賞)『お市と三姉妹』『細雪』『新版香華』『ヴァージニアウルフなんかこわくない』『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』『華岡青洲の妻』『戒老録』、テレビ「赤穂浪士」「細雪」「真田幸村」「鬼平犯科帳」「思い橋」「おんな家族」「6羽のかもめ」「竜馬がゆく」「大奥」「春の波濤」「華岡青洲の妻」「春よ、来い」「芋たこなんきん」「渡る世間は鬼ばかり」などがある。菊池寛賞、紫綬褒章、勲四等宝冠章、牧野省三賞、NHK放送文化賞、山路ふみ子映画賞映画功労賞など受賞・受章歴多数。12年2月16日死去。享年87。

くろがね ひろし
漫画家。1945年高知県生まれ。68年に『山賊の唄が聞える』で漫画家としてデビュー。87年第18回講談社出版文化賞さしえ賞、97年『新選組』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、および第43回文藝春秋漫画賞を受賞。98年には『坂本龍馬』で第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。02年に『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞受賞、04年紫綬褒章受章。『信長遊び』『千思万考』『新・信長記』『GOLFという病に効く薬はない』『韓中衰栄と武士道』『本能寺の変の変』『刀譚剣記』など多数の著書がある。

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