23.02.15 update

映画『エンパイア・オブ・ライト』が淡々と語りかける、「暗闇に光を!」

 今から42、3年前、つまり昭和55年(1980)初頭、私たち日本人はどんな社会を生きていたのか、どんな日常だったのか。本作は1980年代初頭のイギリスの海辺の町が舞台。〝鉄の女〟サッチャー首相が誕生して間もないころで、厳しい不況下にあり失業者が溢れ社会不安を抱えている。幸い日本はオイルショックから脱して景気も緩やかに上昇気流、85年には株価1万円を突破し89年まで3万円の大台までひた走っていた。つまり青天井はいつまでも続くと信じてバブル経済に突入するノー天気な前夜だったのである。

 対照的に不況の深刻化で、鬱屈した人心の不満のはけ口は人種差別に向かいあちこちで暴動すら起こっているイギリス。題名の「エンパイア(帝国)」とはかつて栄光に輝いた「大英帝国」といえなくもないし、寂れた斜陽の劇場の名称にしてはちょっとシャレがきつい。81年のハッピーニューイヤーは暗くどんよりとした冬の空、鉛色の海が広がり、どうもがいても人生の前途は暗澹としているように見える。かてて加えて、映画館のくたびれた中年女性マネージャー、主人公のヒラリー・スモール(オリヴィア・コールマン)には過去に負った心の傷がある。傍若無人、自分勝手な妻帯者の上司(支配人)に関係を迫られる虚しい日々。救いは、孤独な彼女を温かく見守ってくれる従業員たち。そして新しいスタッフとして現れた黒人青年スティーブン(マイケル・ウォード)。彼は建築を学ぶために大学進学を目指していたが挫折、エンパイア劇場に勤め始める…。

 年齢差を超えて二人は特別な関係に進展してゆく。スティーヴンの存在がきっかけとなって、なし崩しだった日常から脱しようとヒラリーは支配人を断固として拒絶する。ヒラリーに希望を持たせ目覚めさせようとする彼もまた人種差別と闘いながら前向きに生きようとするが、社会不安の下で起きる暴動事件が結果として二人を引き離すことになる。この暗い世相と同じように心の闇を持ちながら人生のやり直しができるのか…。

 物語は淡々として展開していくが、映画館のロビーの天井近くに「暗闇の中に光を見いだす」(Find Where Light in Darkness Lies)と彫られている標語が、生きることの希望を捨ててはならないと伝えてくれる。暗闇(映画館)の中に希望(光)を…と、アカデミー賞受賞作『アメリカン・ビューティー』『1917命をかけた伝令』から『007/スカイフォール』『007/スペクター』まで芸術性と娯楽性を兼ね備えた傑作を作り続ける名匠サム・メンデス監督の、映画と映画館、そして人生へのオマージュなのである。

2023年2月23日(木・祝)ロードショー
原題:Empire Of Light
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

映画は死なず

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