世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングが2024年4月21日、帰らぬ人となった。23年11月、自宅階段で転倒し脊髄損傷の大けがを負い、治療とリハビリを続けていた最中、膵臓がんも発覚した。2024年3月にはニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートや日本での公演が多数控えていたなかでの急逝だった。
2018年に小松莊一良監督による『フジコ・ヘミングの時間』が公開されると、異例のロングランを記録した。小松監督はその後も、フジコ・ヘミングを活動を追いかけていたが、フィルムの中のフジコが遺影になるとは想像もしていないことだっただろう。サンタモニカ、パリ、ベルリン、京都、下北沢の5つの自宅で人生を語り、愛すべき友人や動物と寛ぐ場面や、熱の入った演奏を披露するフジコなど、画面には魅力的なフジコが映し出される。
母の弾くショパンの「ノクターン」に魅了され、5歳でピアノを始め、東京藝術大学を卒業後、28歳でドイツへ留学。大音楽家のレナード・バーンスタインやブルーノ・マデルナからも認められ、華々しくデビューするはずだったが、リサイタル直前で風をこじらせ、聴力を失ってしまう。その後は、耳の治療の傍らピアノ教師をしながら欧州各地で演奏旅行を続けていた。
1999年、NHKのETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放送されると大きな反響を呼び、フジコブームが巻き起こった。フジコは60代後半になっていたが、公演はどこもソールドアウト。CDアルバムはクラシック界では異例の大ヒットとなり、日本にもならずヨーロッパ、北米、南米など世界ツアーを行い、ソロ活動だけではなく、多くの著名オーケストラとの共演を重ねた。特に人気の曲はリストの「ラ・カンパネラ」で、複雑かつ超絶的な技巧で知られる難曲だが、フジコの演奏は迫力に満ちていた。
戦時中を疎開した岡山に残されているピアノとの再会、父や弟との思い出、コロナ禍であっても精力的に活動を続け、敬虔なクリスチャンとして慈善活動にも関心が高く、動物愛護や戦争や災害被災地への支援など、長年にわたりチャリティー活動も続けて来た。秘めた恋の話も語られる。
ピアノのみならず、ファッション、インテリア、ライフスタイルなども支持を集めた。CDや書籍の絵は、画家だった父親譲りの才能の片鱗をみせていた。フジコ・ヘミングの新たな魅力を小松監督が引き出している。
「ラ・カンパネラ」(作曲:F・リスト)、「夜想曲(ノクターン)第2番」(変ホ長調作品9の2 作曲:F・ショパン)、「英雄ポロネーズ」(作曲:F・ショパン)、「月の光」(ベルガマスク組曲 第3曲 作曲:C・A・ドビュッシー)、「亡き王女のためのパヴァーヌ」(作曲:M・ラヴェル)、
「ため息」(変ニ長調S.144の3 作曲:F・リスト)、「エオリアン・ハープ」(変イ長調作品25の1 作曲:F・ショパン)、「アンプロンプチュ」(即興曲Op.90-3 作曲:F・シューベルト)、
「幻想即興曲」(嬰ハ短調作品66 作曲:F・ショパン)、「アヴェマリア」(作曲:F・シューベルト 〔ヴァスコ・ヴァッシレフ/ヴァイオリン〕)など、ピアノを弾くフジコ・ヘミングのその姿を、映像でみるとことができる貴重な作品である。
『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』
2024年10月18日(金)新宿ピカデリー他全国ロードショー
配給:東映ビデオ
(C)2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ
公式サイト:https://fuzjko-film.com/