散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第35回 2023年3月27日
何気なく、向い側のホームを眺めていたら、人混みの中に自分と似た男がぼんやり佇んでいる。あっ、と声が出かかった。その瞬間列車が到着し、慌ただしくドアが開閉してホームから人は全て消え去った。
そんな妙な体験が、50歳半ばにあった。あのドッペルゲンガーみたいな幻想を体験してから、どうも私は、向かいのホームを観察する癖がついてしまった。
もしかすると、今の自分と全く別の人生を生きた、もう一人の自分が何処かにいるのかも知れない。そんな気がして、再会を期待しながら撮影してしまうのだ。
プラットホームは、演劇の舞台に見える。誰かを待っている人、見送りの人、イライラしている人、携帯の画面を見つめ続ける人。人生ドラマの登場人物達がスタンバイしているようなのだ。言わばホームは、古典主義演劇の三一致の法則の転換のない舞台である。
いつか、終電が終わったホームを借り切って、一幕の芝居を上演してみたい。自分とそっくりの人間に出逢った男二人が、それぞれの人生を交代するか、そのまま同じ人生を生きるか、悩む話である。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、アーツ前橋アドバイザーを務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。