散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第50回 2024年6月28日
見知らぬ街に救世主のように現れる矢印。指す方角に進むと、別の矢印。その先にも、また新たな矢印。さらに進むと、今度は先端が曲がっていて、空を指し示しているのだ。
そんな夢を何度か見た。都会の矢印は信用出来ない。どこかにそんな不信感があるのかも知れない。
山に入ると、矢印は頼もしい存在だ。矢印があんなに輝いている場所はない。自然の中にある人工物で、唯一許せる宝物だ。
かつては、矢印の代わりに指差しマークが駅前から葬儀場まで案内してくれた。あれは、地図の読めない男に頼もしい存在だった。(笑)
最近は、矢印を頼りに目的地に行くのではなく、携帯画面が道案内にしている。
今1番矢印が活躍しているのは、動画の注目エリアを教えるマークかも知れない。最近の矢印は点滅しているのだ。
街や駅舎で見かける度に思わずシャッターを押してしまうのは、携帯の出現によって、矢印は絶滅危惧種になるかも、などと思っているからかも知れない。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。