散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第56回 2025年1月6日
バス停は、見かけるとすぐに撮りたくなるけれど、まだ数枚しか撮影していない。大抵背景が店舗などの建物が密集しているから、絵にならない。『北北西に進路を取れ』や、『となりのトトロ』に出てきたバス停ならすぐシャッターを押すだろう。
実はバス停は、私にとって忘れられない場所だ。両親が離婚した後、家を出た父親が何回か遊園地に誘いに来た。その時、毎回近くのバス停で待ち合わせしたのだ。ぎこちない両親の挨拶が終わってからバスが出発するまでの長い時間。バス停は会話のない気まずい空間だった。だから、私は今でもこのバス停を見ると妙な不安感が襲ってくる。
ところが、数ヶ月前通りかかると、バス停が無い。どんな事情だか知らないけれど、移動していたのだ。おかげで、今は私の記憶もどこかに移動してしまった。もちろん、バス停に立っていた標示柱の跡は、しっかりと撮影した。(笑)どんなものであれ、何かの痕跡は私の最も好きな被写体だ。
はぎわら さくみ エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。