萩原朔美のスマホ散歩
散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第14回 2021年6月28日
扉は、ノブに手をかける瞬間が楽しい。予想外の世界が広がっているような妙な期待感が発生する。
勿論、ほとんど何のことはない普通の日常空間が広がっているだけだ。開けるとそこは海原とか、また同じ扉があ るとか、砂漠が広がっているのは映画の中だけだ。
子供の頃は、アリババの扉とか、NHKラジオのクイズ番組「二十の扉」とか、扉のイメージには独特の存在感が漂 っていた。
おそらく、木製の彫刻的な重厚さが持っている貴賓のようなものが、存在感を醸し出していたのかも知れない。そ れに、木製でないと、開けたときのギィ〜っと言う効果音は発生しない。
最近私は、木製の扉を集中的に探して撮影している。今撮っておかないと、消滅してしまうのではないか、と思ったからだ。確かに、木の扉は消えつつあった。悪魔の襲撃にあった跡のような扉もあった。悪魔は時間だった。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長を務める。