1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。
今回は前回に引き続き、東宝撮影所の様子が見られる映画をご紹介してみたい。
前回、東宝撮影所が東宝そのもの或いは架空の撮影所として登場するパターンAと、まったく違う施設として撮影所のステージ外観が使われたパターンBのふたつがあると述べた。
Bパターンの作品としては、黒澤明監督の『生きものの記録』をご紹介したところだが、それ以外にも以下の作品がある。
まずは、特大の第8ステージが港のドックに見立てられたマキノ雅弘監督作『恐怖の逃亡』(56年)。本作は、現金強奪殺人犯の逃避行をドキュメント・タッチで描いた東宝としては異色の作品で、金に憑りつかれた犯人を演じた若き日の宝田明の熱演が光る。
続いては、クレージー映画の二作品。撮影所正門脇の本館ビル(57年10月竣工)が由利徹の宮前社長が入院する病院に化けた『ニッポン無責任野郎』(62年:古澤憲吾監督)はナイト・シーンなのでイマイチ判りにくいが、『クレージーだよ 奇想天外』(66年:坪島孝監督)では、堂々と第5~第7ステージを谷啓扮する鈴木太郎(実はα星人)が入社する大聖化学の工場に仕立て上げている。当工場では大砲の弾丸を作っているので、壁一面に「禁煙」の文字がでかでかと掲げられているのが可笑しい。自らをも滅ぼす兵器を作り続ける人類の愚かさを皮肉った、実に真面目な(?)喜劇である。
Bパターンとしては他にも、復讐鬼と化した三橋達也が狙うべき敵(大滝秀治)の事務所を、東宝撮影所本館ビルの屋上から監視する『野獣の復活』(69年:山本迪夫監督)と、サーカス団に買い取られたモンスター‶モンちゃん〟の檻が、第8ステージの裏手に設えられていた『ピンク・レディーの活動大写真』(78年:小谷承靖監督)がある。
後者では、ピンク・レディーの超過密スケジュールにより、ロケはもとよりオープンセットを作る時間も惜しかったのであろう、小谷監督に聞けば、テレビの歌番組も撮影所に組んだセットで収録。スタッフはその間に食事や休憩をとっていたというから、その忙しさのほどがよく分かる。
Aパターンの映画もまだまだある。美空ひばりが二役を演じた『歌え!青春はりきり娘』(55年)がそれで、物語は路線バスの車掌見習のトミコが美空ひばりと瓜二つであることから、本人に会いに東宝撮影所を訪ねる展開となる。本作で見られる風景は正門や噴水、第1・第2ステージなど。P.C.L.時代から綿々と引き継がれる「第2ステージ」に案内されたトミコは、そこで時代劇に出演するひばり(本物)の撮影現場を見学する。ひばり似のトミコが音痴(!)であるという設定がなんとも愉快だ。