メロドラマ路線に活路を見出した新東宝は、同傾向の作品を量産して勢いを増す。
やはり東宝から移籍した渡辺邦男監督による『異国の丘』は、作曲家の吉田正がシベリア抑留中に作り、兵士たちに愛されただけでなく、復員後に大ヒットとなった同名の歌をモチーフにつくられた歌謡メロドラマ。夫(上原謙)の帰りを待ちわびる妻・花井蘭子の住む屋敷が、やはり龍野邸を使ってロケされている。本作では、花井が陸軍病院(のちの国立大蔵病院。現成育医療研究センター)の負傷兵を慰問するシーンも見られ、このシーンには吉田正本人がカメオ出演している。
1938年(昭和13年)築で、壁と木造の部分が半々の‶ハーフティンバー様式〟でつくられた当洋館は、中川信夫監督がメガホンを取った『深夜の告白』でも男爵家のお屋敷として登場。住むのは千田是也と三宅邦子の夫婦で、戦争への後悔と反省が込められた人間ドラマの本作を含む、1949年公開の新東宝映画で度々ロケ地となった。
その後も、斎藤達雄が監督・主演した家族ドラマ『嫁ぐ今宵に』(53年)、宇津井健が宇宙人・スーパージャイアンツを恥ずかしそうに演じた『鋼鉄の巨人 怪星人の魔城』(57年)、やはり宇津井健が警部役で出演し、復讐鬼・天知茂と対峙するフィルムノワール『怒号する巨弾』(60年)などで、それなりのステータスを感じる屋敷として撮影に使用され続けた龍野邸。これまで紹介した東宝作品を含めれば、‶成城ロケ地〟ナンバーワンの座は揺るぎそうもない。
東宝からの移籍組では、青柳信雄製作による『銀座カンカン娘』(49年/島耕二監督)で、世田谷羽根木公園近くと見られる自宅にいたはずの高峰秀子が、仔犬を捨てるのにいきなり成城のお屋敷街に姿を現すことも、すでにご紹介したとおり。また、同年公開でやはり元東宝の斎藤寅次郎(註1)が監督した『男の涙』という歌謡映画(主演と主題歌は岡晴夫)では、ヒロインの野上千鶴子が祖師ヶ谷大蔵駅(成城の隣駅)に出現する。香川京子など、多くの新東宝俳優やスタッフは当駅から歩いて撮影所に通っていたとのことだから、祖師谷大蔵駅がロケ地となった作品も、まだまだあるはずだ。
前述のとおり、新東宝映画は1950年5月をもって東宝のスクリーンから姿を消す。そして新東宝は、その後もメロドラマなどの文芸作品を中心に映画製作を継続するが、直営の映画館が少なかったことから配給網が弱く、興行的には苦戦が続く。1955年になり、映画興行師の大蔵貢が会社を買収してから、まったく作風の異なった映画が作られていくこともご存知のとおりだ。
かくして、‶エログロ路線〟とも‶玉石混交〟とも称される作品群の中にも、成城を舞台=ロケ地とした映画が続々と製作。撮影所の近場で撮るのは予算的にも撮影スケジュール的にも容易だったからに他ならず、新東宝作品は‶成城ロケ映画〟の宝庫となるのだった。
次回は、新東宝が自主配給を開始して倒産するまでの作品の中から、筆者が知り得る限りの‶成城ロケ映画〟を残らずご紹介させていただきたい。
(註1)‶喜劇の神様〟斎藤寅次郎監督は、昭和20年代末から亡くなるまで成城住まいを続けた。家は成城学園前駅北口から真っ直ぐ進んだ桜並木にあり、木戸が空いていると、駅前交番の巡査から注意を受けたという。近くにはマキノ雅弘、青柳信雄、三船敏郎らが居住。現在では、その住居を利用して、ご親族が「一宮庵」という茶懐石料理店を営んでいる。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。