振り返ると僕が関わった映画で最もリッチな【打ち上げ】は『南極物語』だ。スタッフ全員熱海一泊旅行に数十万円の商品の抽選会。しかもハズレ無し。ヒットしたら皆で喜びを分かち合う。これが映画だ! そして次の土俵へ向かう。最初の映画が、最高の〝映画的〟体験だったと言える。
それでも『ビルマの竪琴』(1985)を東宝の夏休み映画で上映する!と聞いた時は「犬→?・・・」と、大丈夫かな・・・が本心だった。当時の番組から誕生した、大人気だったおニャン子クラブを駆使し、増上寺の中で中継試写会をやったり、「水島~帰って来いよ~」を連呼したり、真面目な映画とはかけ離れた宣伝もやった。しかも、過去に名作の誉れ高い同じ市川崑監督のモノクロの『ビルマの竪琴』(1956)があるのだ。企画決定した経緯を編成局長に聞くと「崑さんが、モノクロで撮った時は表現出来なかったんだよ。赤い土が必要なんだ、赤は人間の血の色なんだ!」と市川監督の話に涙したという。「人に乗る」だ。
20代半ばの僕には、企画決定で、やや理解に苦しむところもあったが、そこからは捨て身の宣伝展開になった。映画の本編中で中井貴一さんの肩に「鸚鵡」が登場していた。ワゴン車で某百貨店に「鸚鵡」の作り物(剥製ではない)を買い占めに行った。今なら批判間違い無しだが、それをフジテレビの「ヤクルトvs 巨人戦」中継で使った。20%の視聴率を獲得していた時代だ。アナウンサーが「只今、ホームランを打ちました原辰徳選手には、7月20日公開の映画『ビルマの竪琴』から鸚鵡が贈られます」と。ホームベース上で鸚鵡を渡された選手の複雑な? リアクションを中継で最初に見た時は、自分でも「ここまでやって・・・」と思ったが買い占めた鸚鵡はどんどん減っていった。
僕の予想に反して夏休みだけで配給収入30億円に迫り大ヒット、15億円は絶対届かないと言っていた賭けはハズレた。これで「東宝の夏」は「フジテレビの夏」になった。
翌年『子猫物語』(1986)が登場するのは自然の流れだった。監督の畑正憲さんには、『南極物語』の宣伝にもご協力いただき、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は単発スペシャルの看板番組になっていた。しかも『南極物語』に繋がる『キタキツネ物語』の44.7%の視聴率を考えれば、【キタキツネ→犬→猫】は、誰も反対する余地がない。夏休み&東宝+坂本龍一(音楽)で、企画の段階で【配収100億円プロジェクト】になっていた。看板番組の映画化であり、宣伝もやりやすい。国内で配給収入50億円(興行収入90億円台)を超え、フジテレビは夏休み映画の常連となっていく。
人間は登場せず、猫が主人公の効果? もあり、アメリカのコロンビア映画配給で当時2000スクリーン前後で上映した。これは暫く日本映画の記録となった。この映画の宣伝に僕が関わっていなければ映画『私をスキーに連れてって』は誕生しなかったであろうと考えると〝縁〟とは不思議なものである。