森田芳光監督の映画は自主映画『ライヴイン茅ヶ崎』(1978)の時から観ていた。森田監督の劇場用第1作『の・ようなもの』(1981)は大好きな一本だ。『家族ゲーム』(1983)、『それから』(1985)と顔の違う映画を連続して作りながら共に「キネマ旬報ベスト・テン1位」を獲得していた。『それから』に続いて発表された森田芳光オリジナル脚本・監督作が『そろばんずく』(1986)だ。
「前の2本がキネ旬1位だろ、今度の映画は評論家が映評を書くのを戸惑う位のをやりたい!」と。だから、フジテレビとなんだ、と妙に納得した。しかもラジオ局でバッタリ会った【とんねるず】を主演にすると言う。フジテレビ社内でも「そろばん塾」の映画と認識していた幹部もいた。因みに「そろばんずく」=「計算ずく」の意だ。
不思議かつ面白い撮影の毎日だったが、オールラッシュ(スタッフ)試写の時、たまたま監督の後ろに座って観ていた。終わって振り返った監督から「これ、面白いかぁ?」と聞かれ、よくわからないとも言えず、「はぁ・・・」と中途半端に答えた気がする。あれから37年。たまに観る度に、段々面白さを感じられるようになった。早すぎたのか・・・。勿論、当時の映画界の評価は予定通り低かったが。
森田監督とは、亡くなられる近くまで、事務所での徹夜麻雀などよく遊んでもらった。中でもボウリングは思い出深い。森田組スタッフ打ち上げはいつもボウリング大会。『そろばんずく』も新宿ミラノボウルだった。僕はヒロインとして出演していた安田成美さんと同じレーン、隣が木梨憲武さんだったか・・・。その後二人は結婚した。
ある日、監督から「田町のボウリング場(いつも田町ハイレーンかポートボウル)に夜10時集合!」と電話。時々、徹夜(?)ボウリングは、一緒にやっていたが、その時は証人にパートナーの三沢和子プロデューサーを立て、「10ゲームの真剣勝負だ!」と。
アベレージは森田監督の方が高く、170前後と記憶しているが、「真剣勝負!」と言われると何か別の高揚するものが・・・。10番勝負で結果は監督の10戦全敗。僕からすると全勝だった。何ゲーム目かで監督が200に近いスコアで勝負あったかと思ったが、僕がラスト発奮したせいで200オーバーになり、監督の精魂は尽きた。ただ、これには後日談もある。それから20数年後。「また田町で真剣勝負だ!」の連絡。今度はほぼ自分が全敗した。この執念が森田芳光の映画の原点だったのかと感じる時がある。