1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。
本連載第13回で、成城の‶もう一つのロケ地スポット〟として取り上げたのが桜並木。今回はその続編として、当並木通りを歩いた東宝女優たちを紹介してみたい。
遡ること百年ほど昔、成城学園の元となる成城第二中学校と成城玉川小学校が「砧村喜多見」と呼ばれていた地に移転してきてつくられたのが成城という街。そして、成城の小学生によって植えられたのが、いちょうと桜の苗木であった。この桜の木々が現在まで脈々と通じているかと思えば、なかなかに感慨深いものがある。
『銀座カンカン娘』(49年/新東宝)で高峰秀子が仔犬を捨てに来るのは、成城学園前駅北口から通じる桜並木通り。本作のプロデューサーは当並木道に家を構えた青柳信雄で、のちに監督を務めた東宝『サザエさん』シリーズで度々成城ロケを行ったことはすでにご紹介したとおりだ。この並木道が、学園の創始者・澤柳政太郎の名前に因んで「澤柳通り」と呼び称されていたことなど、今や成城の住人でも知る人は少ないだろう。澤柳がこの通り沿い(現在の「四季膳ほしや」の辺り)に自宅を置いていたので、こうした名称がつけられたものだが、隣に越してきた斎藤寅次郎監督が自宅を持っていたことに因めば「寅次郎通り」でも良かったことになる。