東宝時代の有馬稲子が、成城の桜並木を歩くのが『泉へのみち』(55年)という映画。私生児として育ったものの、明るい性格を認められ雑誌社に入社することとなった女性(有馬稲子)が、悩みながらも雑誌編集者として立派に成長。別れた父とも再会を果たし、最後は人生の伴侶も見つける、といったいささか欲張りな内容をもつ作品である。
本作は旧制成城高等学校出身の筧正典が初監督した映画であるためか、有馬は高峰三枝子扮する母親と成城に居住する設定となっている。成城学園前駅北口から二人が自宅に戻る際には、「ライオン長屋」(註7)と呼ばれていた商店街を抜け、現在の世田谷区役所砧総合支所の交差点を左折して、桜並木へと歩を進める。交差点の角に『憲兵と幽霊』(58年/新東宝)にも写る久保田洋服店(成城学園の男子制服請負店)の看板が見えることから、この事実が判る。この商店街が見られる映画には、他に京マチ子出演の文芸作『沈丁花』(66年/千葉泰樹監督)と三浦友和主演の山岳映画『星と嵐』(76年/出目昌伸監督)がある。
有馬は、市川崑が監督したライト・コメディ『愛人』(53年)でも岡田茉莉子と並んで、ほぼ同じ場所を歩く。成城学園の卒業生から、この作品で有馬が映画監督の父親(菅井一郎)と住む洋館は、成城学園の講堂「母の館」のすぐ横だったとの目撃証言を得ているが、建物はとうに姿を消している。目撃した方は、岡田がスタッフに「私は今日、ゴキゲンが良くない」などと愚痴っていたことまで記憶しているというから、岡田はすでに会社=東宝への不満が溜まっていたのかもしれない(註8)。
スピーディーでテンポの良い演出は、市川崑独特のもの。パーティーで交わされる会話や、続く家庭内でのやり取りも、そんじょそこらの映画で見られるありきたりな演出とは一味もふた味も違っている(次回に続く)。
(註1)他にも小田急線の南側、東宝撮影所の北に「美乗屋(新津酒店)」という店があり、こちらは『続サザエさん』(57年)や『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』(64年/杉江敏男監督)に登場する。
(註2)「成城南 富士見通り」は、実際に富士山が見えたことから命名された商店街名。成城自治会が発行した昭和10年代の地図では、富士見通りに「成城堂紙店」の店舗名が確認できる。
(註3)狛江の所有地は1994年に電力中央研究所に売却され、今ではその社宅となっている。
(註4)監督のご子息に、こうした話を父親から聞いたことがあるか問い合わせてみたが、答えは「否」であった。
(註5)司葉子さんに「松林監督は僧侶なのだから、真面目な方だったのでは」と伺ったら、大笑いされたのにはビックリ。女優だけの集まりに、男性で唯一参加していたのが松林監督だったそうだ。
(註6)もっとも古澤は、同じく原に殉愛を捧げた藤本眞澄プロデューサーから、原への思いを諦めるよう説得されたという。事実だとしたら悲しい話である。
(註7)長屋状に並ぶ店舗の壁面にライオンのレリーフが備えられていたことから、この名称が付けられた。ここにあった理髪店「パリジャン」は大岡昇平が上顧客で、よく市川崑監督もお見かけしたものだ。
(註8)目撃した方によれば、岡田茉莉子はその頃成城二丁目に住んでいたそうだから、恐らくは旧P.C.L.アパート(現成城二丁目8-20/最初につくられたP.C.L.施設や設立者の植村泰二と増谷麟邸西側に位置)にでも住んでいたのだろう。岡田は57年にフリーとなり、すでに有馬稲子が移籍していた松竹へ。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
東宝映画・日本映画研究家。1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。9月には成城「一宮庵」で、東宝俳優・西條康彦さん(「ウルトラQ」にも出演)とのトークイベントを開催予定。