1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。
成城の風景が見られるのは、なにも映画ばかりではない。これから数号、成城やその近辺の街並みが写る数々のテレビドラマ(テレビ映画)をご紹介してみたい。
まずは、円谷プロ製作による日本初の特撮テレビドラマ「ウルトラQ」(66年/TBS系)から。
東宝で戦記ものや怪獣映画などの特技監督を務めていた円谷英二が、円谷特殊技術研究所を発展させ、自身のプロダクションを持つようになったのは1963年のこと。テレビの世界に進出するには様々な障害や苦労あったようだが、円谷はテレビ会社で仕事をしていた子息の力も借りて、何とかこれをクリア。それまで映画館でしか見られなかった〝怪獣&SF〟ものが、毎週家で見られるようになると聞き、胸を高鳴らせて放送を待った子供もさぞや多かったに違いない。
ぐるりと逆回転する奇怪なオープニング・タイトルに、宮内國郎による不気味なテーマ曲、これに石坂浩二のナレーションが被さると、もうそこは「ウルトラQ」の世界。かくいう筆者(当時小学5年生)も、古代怪獣ゴメス(註1)が登場する第1話「ゴメスを倒せ!」の放送以来、日曜の夜7時には何があってもテレビの前に座るよう心がけたものだ。
1966年の本放送時には内容が難解だとしてオクラ入り(注2)し、翌年の再放送時にようやく陽の目を見たのが、第28話=最終回として放送されるはずだった「あけてくれ!」(脚本は小山内美江子)である。
劇中、主人公のセスナパイロット・万城目淳(佐原健二)と女性報道カメラマン・江戸川由利子(桜井浩子)は、夜のドライブの途中、路に倒れていた中年男(柳谷寛)を車に乗せる。夜間なのでわかりにくいが、このシーンは旧成城警察署から新東宝撮影所方面に向かう路上で撮影されている(註3)。男を一の谷博士の研究所へ運ぼうと、Uターンした車は旧成城警察署脇の小田急線踏切で一時停車、電車の通過を待つ。踏切の向こうには、今も建物が残る電気店の看板が見える。
何を隠そう、この踏切では以前紹介した『アワモリ君乾杯!』や『国際秘密警察 火薬の樽』などの撮影も行われていて、円谷関係では「恐怖劇場 アンバランス」(73年放送/CX系)第3話の「殺しのゲーム」(長谷部安春監督)で岡田英次が、第7話の「夜が明けたら」(黒木和雄監督:当話のテーマ曲を歌う浅川マキも出演)でも、刑事役の花沢徳衛と山本麟一が当踏切近くの道を歩くシーンが見られる。