当初は、「NIGHT HEAD」(フジテレビ/1992年10~1993年3月/深夜ドラマ/飯田譲治 原作・脚本・演出)のように深夜帯でプロローグ的に連ドラを放送し、劇場映画に繋げる……というアイデアも出たと思う。ただ、進んでいくどこかの段階で「せっかくなら木曜日のゴールデンタイム放送でどうか」の提案。これはテレビ朝日側からだろうか。主演は大沢たかおさんで行くことは決めていたが、ゴールデンタイム予定になってからは映画『アナザヘヴン』の主演の江口洋介さんにも何話か出演してもらい……となって、タイトルは「アナザヘヴン~eclipse~」(2000年4~6月/全11話)とした。
連続ドラマは4月20日スタート。1話目はキャストのお陰もあって13%の視聴率。当時のテレビ朝日のドラマとしては高視聴率。2話目以降は下降線を辿り、平均視聴率は7%ちょっとだった。深夜企画をいきなり木曜日21時ドラマにするには、ストーリー自体が深夜向き過ぎたと言える。
映画は4月29日スタート。創っている側の僕の中でも「映画」と「ドラマ」の位置づけが難しく、外伝でもなく、映画の事件とは別の事件を追う形の内容で、ドラマは女性の連続失踪事件が軸になっている。
『リング』の際は、映画『リング2』と同時放送のフジテレビの連ドラ「リング~最終章~」の2本は関連性は薄いものの、映画『リング』がヒットして、世の中に話題が拡散しているときのタイミングである。
『アナザヘヴン』の場合は映像作品は無く、原作はありながら、映像の認知はスタートラインに立つところから始めなくてはならない。
自分でも『リング』が思わぬヒットになり、映画→連続ドラマ化、あるいは連続ドラマ→映画化では無い、新しい形を欲していたのかもしれない。あとで反省してもしょうがないのだが観客を置き去りにした観客不在の側面もあったように思う。
〝アナザヘヴン・コンプレックス〟と名付け、〝世界初! 映画とドラマが同時公開〟などの記事は踊ることになる。出版物も相次ぎ、コンピューターゲームの発売やサウンドノベルと称したものまで多面展開を試みた。僕も何故か、飯田譲治監督とテレビ朝日の深夜番組のレギュラー出演までやった。
プロモーションも兼ねて、江口洋介さんや柏原崇さんと一緒に台湾、香港キャンペーンなども行った。製作委員会方式ではなく、松竹の協力を得て「SPC」(特定目的会社/現在ではLLCに近いか)を立ち上げ、すべてのジャッジを一元化する試みも行った。
日本での興行収入は7億円に届かず、正直パッとしなかった。R15指定になったこともあり、中学生などにはアピール出来なかった。何より、プロデューサーとして策に溺れたと言えるかもしれない。確固たる戦略が必要なところで、きちんと中味を吟味することが出来なかったと言うべきか。『リング』より高揚感を持って臨んだのだが、決めるのは観客である。僕が普段心がけていた「観客目線」を失っていたのだろうと思う。 今でも『アナザヘヴン』が好きな人に会うと嬉しくなる。個人的には、刺激的で、とても面白い時間を過ごさせてもらった作品である。