そもそもは大沢たかおさんからの一本の電話だった。本屋からだったと思うが、背表紙が『初恋』(リトル・モア刊)なのに中身が3億円事件(1968年12月10日に起こった未解決事件)の話で、実行犯が女子高校生だという。まず惹かれたのは、僕の10歳の誕生日の朝に起こった事件で、学校でも、近所でもその日はその話題で日本中が騒然となり、僕の誕生日どころではなくなった記憶だ。
早速読んでみた。「大沢たかお」が出演できそうな役はなかったが、彼とは色んな企画の話をしていた時期なので、ネタの一つとして教えてくれたのだろう。著者は「中原みすず」となっていたが、もちろんペンネームだ。冒頭で自身が実行犯であることを告白している。事件からもうすぐ半世紀。とっくに時効(1975年12月10日)は過ぎているが、ヘルメット姿の男のモンタージュ写真の印象が残っているだけだ。10万人以上の重要参考人リストはあるが。
映画の企画として秀逸だと感じたのは、実行犯のモンタージュ写真に引きずられ、「男性」限定の捜査であったことの盲点だ。しかも女子高生。『セーラー服と機関銃』ではないが、ヒロインとのギャップ感が良い。初見ではフィクションの要素がやや大きいと思っていた。ところが事件自体はノンフィクションであり、当然、当時の関係者で生存している人も多い。そして事実であるとすれば、半世紀近くも会えなくなってしまっている著者の恋人に向けての悲痛な手紙のような気持ちがした。彼に、この気持ち(今も待ち続けている)が、どんな形であれ届きますように、という願いから本を書いたのではないかと。
映画化しようと決めた時、まだアミューズにいて、映画撮影をやっている現場に宮﨑あおいさんの事務所から連絡があり、羽田近くのビル上の現場にマネージャーがやってきた。
「宮﨑あおいが是非、女子高生の役をやりたいんです!」と。
僕が原作に出会う前に、16歳の彼女は本を買い込み、いろんな人に働きかけていたと言う。しかも、大型バイクに乗るシーンがあるため、免許も取得したと。初めて会った時は19歳で「何年か後ではなく、10代の気持ち、去年まで高校生だった自分でやってみたい」と。「誕生日は?」「11月30日で二十歳です」「じゃあ、10月にクランクインしよう」……この辺の記憶はあいまいだが、10月に撮影を開始した。彼女の10代ラストの映画になった。
彼女の映画にかける気持ちには頭が下がったが、その後、著者に会った時に彼女は確信したのかもしれない。著者の10代の「青春」に自分を照らし合わせるように。
著者が本当の実行犯かどうかの詮索はしなかった。ただ、当時の「彼」(著者の恋人で大学生で主犯)の仲間たち、知人らには取材は行った。知らない事実が続々と登場した。彼は当時、東大の学生で、この事件の1か月後(1969年1月18日)、東大安田講堂占拠事件が起きる。そんな時代だった。
映画が完成し、原作者(当時55歳前後か)に密かに観てもらった。鑑賞後、宮﨑あおいさんは(僕もだが)、涙を流す彼女と映画の話をしながら、ある確信に至ったかもしれない。
僕には、あまりに悲しくて、やるせない恋愛物語の映画化になった。
『力道山』(2004)を創ったときにも感じたが、情報は、真実は、どこかで封印されたままのことがあるものだと……。