このとき三船は、映画で演じていた真壁八郎太どおりの髭面であったはずだから、助けられた人たちもさぞや驚いたことだろう。結果、警視総監から感謝状を受けることとなった三船だが、今なら飲酒運転のほうで大騒ぎになっていたに違いない。
ちなみにこの台風では、千歳船橋に住む森繁久彌も、自宅下を流れる烏山川の氾濫により被災した人たちを自らのボートで救助しており、奇しくも東宝の二大俳優(註5)が同時に救出劇を演じていたことになる。スターとは、まさにこういう人たちのことを言うのだ!
時折、自宅近くの成城大学の自動車部の部室を訪れては、当時部員だった徳大寺有恒さんなどを乗せ、成城の街をMGで走っていたという三船敏郎。息子の史郎さんが小学生時代には、これまた成城学園の歴史に残る豪快なエピソードを残している。
それは初等学校で運動会が行われた日のこと。その日がたまたま母の日に当たっていたことから、三船は自ら操縦稈を握り、調布飛行場からセスナ機で成城学園の運動場に飛来、観覧中のお母さんたちにカーネーションの花を撒く、という驚きの行動に出る。現在、おそらくこのような行為は違法となるのだろうが、天下の三船敏郎に恐れるものなどあるはずもない。息子よりもお母さんたちのほうに気を遣った三船は、母の日を豪快に祝って、低空飛行で飛び去っていく――。 これは成城学園の教職員の間では長らく語り草になったほどで、父母の間で人気があった三船は学園の評議員にも選出されている。史郎さんが入部していた成城大の馬術部には、『五人の野武士』(68〜69年/NTV系)や『風林火山』(69年)で使った馬を寄付したこともあったというが、このお陰で主将になったのではないので、念のため。