『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)、『解夏』(2005)など、ヒット作や、主演賞にも輝きながら、一方で、海外、ハリウッドを睨みながら……、日々努力の人である。
初対面から8年経った頃、TBSから連続ドラマのオファーがあったが「断りました」と。その間、民放全局、NHKの大河ドラマの主演のオファーもあったが首を縦に振らなかった。これが彼のスタンスなのだろうと。
それから1年くらい経った時だろうか。相談があります、と。
TBSの件で、断った後もプロデューサーから彼に何度もオファーがあり、「もし、自分が出るなら……」という話をし続けてきたという。
そして、「出演しても良いかな……」と
此方はマネージャーでは無いし、「いいんじゃない」と答えたのだが、8年間映画だけに邁進し、ぼくとの関係も「映画をやりたい」からスタートしたので少しは気を遣ってくれたのか……。それはわからないが、「JIN‐仁‐」(2009/TBS)はそれだけ、プロデューサーと主演俳優が真剣に取り組もうとして来たのだから、これは良いドラマになる予感がした。
ドラマは大好評で、ぼくもとても面白く全話観た。映画化のオファーもあったようだがこれは固辞したのだろう。その代わりと言っては何だが、パート2(第2期/2011)も作られ放送された。話題や視聴率とともに、多くのテレビの賞を受賞した。
舞台でも、ミュージカル『ファントム』(2008)などの全国公演にも主演した。『王様と私』に主演した渡辺謙さんとロサンゼルス公演で会い、大いに刺激を受け、ロンドンでの公演(2018)では謙さんと共演、ミュージカルの聖地デビューも果たす。
「JIN‐仁‐」に出演した後も、精力的に映画には取り組み、彼でしか出せない存在感を放っている。『キングダムシリーズ』、特に『キングダム 大将軍の帰還』(2024/佐藤信介監督)は圧巻で大沢たかおでしか出せない魅力が全開だった。今年も『沈黙の艦隊 北極海大海戦』(『沈黙の艦隊』続編)が公開予定だが、やはり、彼にはメジャーエンタテイメント映画が似合う。ますます大きな俳優になって世界にも羽ばたく日を楽しみにしている。
常に真っすぐに作品に向き合う。これが大沢たかおの真骨頂である。
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かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。