22.09.28 update

第19回【成城シネマトリビア】  成城住まいの横溝正史だったからこそ生まれた傑作トリック

 そもそもこの‶病院坂〟なる坂道、小説では都心の麻布と芝の境目にある設定だった(事件の管轄は高輪署)が、実のところこのネーミングは、横溝邸からも程近い、ある坂道の通称に由来しているのだ(註5)。かつての「御料林」(皇室財産の森林)西方に位置する当坂道は、明正小学校と砧中学校に挟まれた切り通し。鬱蒼とした森に囲まれ、防空壕跡などもある、いかにも妖しい雰囲気を醸す地だ。ただ、筆者の知る限り、当地に病院があった痕跡はない。そこで、古くからの住人に尋ねれば、ここにはかつて伝染病(結核)の隔離病棟があったという(註6)。もともと空気が綺麗な土地であるから、こうした施設が作られても不思議ではないが、いまやそれを証明する資料は残っていない。

 国分寺崖線(野川段丘)上に位置する当坂道は、かなりの傾斜地であるので、晩年の横溝には散歩は難しかったに違いない。それでも、生涯結核と闘った、自身の病歴を重ね合わせたものか、横溝はこのネーミングを記念すべき‶金田一耕助最後の事件〟に、意識的に採り入れている(註7)。

現在の病院坂(筆者撮影)と映画ロケ地となった岡本一丁目の坂道 撮影:岡本和泉

 実は、‶金田一もの〟には『支那扇の女』や『洞の中の女』など、成城や経堂を舞台とした作品もいくつか存在する。今、横溝の散歩姿を振り返れば、金田一が成城のまちを闊歩する姿は、まさに横溝正史そのものであったように思えてならない。

 横溝正史は1981年に死去するまで、成城に居住。横溝が求めた開放的な空間=成城が、戦後の金田一耕助シリーズ=横溝の執筆活動を陰から支えていたことは間違いない。見晴らしの良いその書斎は山梨市に移され、「横溝正史記念館」として公開されている。

(註1)名前はもちろん金田一京助から、そして、その風貌は岩田専太郎が描いた挿絵(『花咲く樹』)からインスピレーションを得たとのことだが、具体的イメージは『本陣殺人事件』文中にある「昔、レビューの楽屋なんかにゴロゴロしてたような男」すなわち菊田一夫なのだそうだ(角川書店刊『横溝正史読本』「自作を語る」より)。

(註2)植村泰一(やすかず)氏は、近所の作曲家・清瀬保二に師事、東京芸術大学別科、慶應義塾大学を卒業後、NHK交響楽団に入団。東京芸大の学長・理事長も務める。『悪魔が来りて笛を吹く』が東映で映画化されたとき(79年:斎藤光正監督)に、テーマ曲を吹いたのも泰一氏であった。

(註3)トリックはある誤解から齟齬が生じ、単行本化の際に訂正されたという。

(註4)具体的なロケ地については、拙著『成城映画散歩』(白桃書房)を参照されたい。映画には『犬神家の一族』(76年)同様、横溝先生自身が特別出演。これも近所住まい(自宅から東宝撮影所までは歩いて数分)の成せる技?

(註5)横溝は、本書の序文で「成城にも同じ名の坂道がある」と明かしている。

(註6)複数の証言をもとにすれば、この建物(病院ではないが)は、昭和初期まで残っていたものと思われる。

(註7)本作、元々のタイトル(「宝石」に載せた短編:前篇のみで終わる)は『病院横町の首縊りの家』であった。

高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。

1 2 3

映画は死なず

新着記事

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

  • 2024.11.20
    能登の子どもたちや被災者を、美しい音楽で励ましてく...

    被災者に勇気を与えるウイーン・フィルの活動

  • 2024.11.20
    指揮・坂本龍一✕東京フィルハーモニー交響楽団による...

    坂本龍一の伝説のコンサートを映画館で!

  • 2024.11.19
    ベートーヴェン「第九」初演から200周年の記念すべ...

    12月31日特別先行上映、1月3日から1週間限定公開!

  • 2024.11.19
    敷寝具から枕まで世界最大級の熟睡ブランド、〈マニフ...

    特別モデル【エコ サンドロ】限定3000台の予約開始!

  • 2024.11.18
    公募展の発祥地〈東京都美術館〉のテーマは「ノスタル...

    芸術活動を活性化させ、鑑賞の体験を深める

  • 2024.11.18
    女優「高峰秀子」と妻「松山秀子」─日本映画史に燦然...

    高峰秀子という生き方

  • 2024.11.15
    本格イタリアンをご家庭で、日清製粉ウェルナの「青の...

    応募〆切: 12月20日(金)

  • 2024.11.15
    京都のグンゼ博物苑で、昭和の激動時代の魅力を伝える...

    グンゼの創業の地で、「昭和レトロ展」

  • 2024.11.14
    「嵐」と並ぶシングル58曲連続トップテン入りを果た...

    THE ARFEE「メリーアン」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!