週刊誌記者の二人は、バス通勤をしており、二郎さんが東急バスに乗り損ねるのは世田谷通りのバス停「みどり団地前」にて。当バス停は、もちろん作り物。実際は「日大商学部前」で、撮影の都合からか位置が少し西にずれている。
ロケ現場が東宝撮影所からも程近い大蔵団地であるのは、二人の拘束時間の関係からであろう。植木等ほどではなかったかもしれないが、多忙な二人が撮影に割ける日程は、監督の談によればわずか二週間。予算もいかにも少なそうで、こうした悪条件のもとで撮られた映画が優れたものになる可能性は、大きいとは言えない。それでも、こんな明るくも切ない喜劇が作られた、あの時代=60年代末期が何だか愛おしくて仕方がないのは、筆者のみであろうか? 日本映画斜陽期を駆け抜けたザ・ドリフターズとコント55号に、乾杯!
(註1)クレージーキャッツは、映画のほうでも71年12月公開の植木等主演作『日本一のショック男』(これも加藤茶との共演)をもって、その中心的役割を終える。
(註2)当踏切では、坂本九主演『アワモリ君乾杯!』(61年:古澤憲吾監督)でジェリー藤尾の歌唱シーンが撮影されたほか、坪島孝監督『国際秘密警察 火薬の樽』(64年)では、主演の三橋達也の車が信号待ちするシーンが撮られている。
(註3)ハーフティンバー様式の当洋館は、筆者が確認しただけでも十七作でロケに使用。この二階の部屋で作曲家の山田耕筰が亡くなったこともよく知られ、現在では有名画家・YT氏が所有。
(註4)第三話「宇宙からの贈りもの」ではミニチュアセットとして登場、火星怪獣ナメゴンに壊されそうになるのがご愛敬。以降、「マンモスフラワー」「変身」「悪魔ッ子」「あけてくれ!」に登場した龍野邸だが、邸内での撮影シーンは確認されていない。
(註5)本作の併映作は、やはり渡辺プロ製作・和田嘉訓監督による『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』。
(註6)1936年に建てられた当店舗は、ちょっとドキドキする青春映画『颱風とざくろ』(67年:須川栄三監督)でも、星由里子と田村亮姉弟が住む葬儀店として登場。このときの主人は宮口精二であった。
(註7)自作のシナリオ『自動車泥棒』で、他の助監督よりも早い監督デビュー(64年)を果たした和田監督だったが、極端な不入りで三年間もホサれることに。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。