第15回 黒澤映画『生きる』と成城、祖師ヶ谷大蔵の意外な関わり Vol.1


成城シネマトリビア─語り継ぐ映画村─

文:高田 雅彦


1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。

 東宝争議以降、他社で映画を作っていた黒澤明が、久々にホームの東宝に帰ってきて撮ったのが『生きる』(52年)である。〈死ぬこと〉すなわち〈生きること〉の意味を問う‶哲学的作品〟とも言うべきこの映画、4K化されたヴァージョンを改めて眺めると、作劇構成も含めて、ありとあらゆる映画的技法がつぎ込まれた、実にテクニカルな作品であることが分かる。このとき黒澤明32歳、その志気も技量も頂点に達していた時期に撮られた本作は、続く『七人の侍』(54年)とともに、キャリアを通じての最高作と断じてよいだろう(註1)。

 今さら内容を紹介するまでもない、この傑作‶病気克服もの〟(こんな一言で表現されるべきではないが)に三船敏郎が出演していないことには、一抹の寂しさは感じるものの、ではどんな役で出たらよかったのかと問われても、何の答えも見出せない。これは、それだけこの映画が志村喬の独壇場であることの証しであり、もし『生きものの記録』(55年)で三船が見せた巧みな老人演技(とメーキャップ技術)が本作で試されたとしても、決してこれだけの感動作にはならなかったであろう。海外にてリメイク話が幾度も起きたことにも、心から納得させられる。

『生きる』パンフレット(寺島映画資料文庫所蔵)

 さて、なにゆえに本連載でこの黒澤映画を取り上げるかと言えば、実は本作が成城と祖師谷に深い関わりを持っているからである。砧の東宝撮影所で作られた映画であるから、成城に関係があるのは当たり前。しかしながら、物語の舞台となるのは何処とも知れぬ市役所の市民課。志村喬演じる主人公・渡辺勘治は、そこの課長であるから、黒澤があからさまな成城ロケ場面など見せるはずもない(そう意味では『七人の侍』も、名もなき村が舞台となることから、御殿場で撮影されても富士山の姿は絶対に写らない)。
 ところが本作、意外なところで成城の痕跡がフィルムに残っているのだ。

 まずは、近所の主婦(おかみさん)たち(三好栄子、本間文子、菅井きん他)が不衛生な〈下水堪り〉の件で市民課に陳情に訪れ、土木課、公園課をはじめとする役所内をたらい回しにされるシーン。おかみさんたちは、遂には地区の消防署にまで回されるのだが、このショットが撮影所を北に昇ったところにある成城消防署内にて撮影されているのだ(黒澤映画の美術担当・村木与四郎氏の証言:註2)。見れば、署員(演じるのは東宝‶大部屋〟俳優の熊谷二良)が市の教育課を訪ねるよう勧める、その背後にはしっかりと消防車が写り込んでいる。

『生きる』に写る成城消防署

 ちなみに、渡辺市民課長のデスクの背後にうずたかく積み上げられた〈書類の山〉は、成城にある「世田谷区役所砧支所」から借り出したものであるという。これは、筆者が東宝の照明スタッフの方から直に伺った話だが、村木氏は東宝本社の経理部からトラック三台で運び込んだものと証言されている。いずれにせよ、あれだけの説得力=本物感のある書類の山(実は、シナリオには記述がない!)を集めるのに、スタッフが相当な努力を重ねたことは間違いない。

 続いては、渡辺の回想シーン。一人息子の光男(大人になってからは金子信雄が演じる)が中学時代、野球の試合に出場して、これを父の勘治が見守るシーン。このシーンが撮影されたのは、記録によれば淀橋の「東京生命グラウンド」であるという。見事塁に出た光男を、勘治は隣の観客に「私の倅なんですよ」と自慢げに語りかける。ところが盗塁を試みた光男は、無残にもタッチアウト。意気消沈してベンチに戻りかけると、ユニフォームの胸に掲げられた学校名は「SEIJO」の五文字! 光男少年は、なんと成城学園中学校(もしくは新宿区原町の成城中学校:註3)の生徒だったのだ。一市民課長の子息が成城学園の生徒であることにいささかの違和感は覚えるものの、次回で述べるとおり、自宅が成城の隣町・祖師谷にあったと仮定すれば、無理のない設定とも言える。

 もうひとつ気になったのが、亡妻の葬儀当日、先を走る霊柩車を見て、思わず「お母ちゃんが行っちゃうよ」と叫ぶ光男に、渡辺が胸を詰まらせる回想シーンである。雨の桜並木で撮影されたこの撮影現場が、もしかすると成城ではないかと睨んだ筆者は、スクリプターの野上照代さんにお会いした際、直接疑問をぶつけてみた。
 すると、幾人かの黒澤組スタッフに確認してくださった野上さんから、当時の美術助手・杉本茂さんによる証言が届く。杉本さんは『全集黒澤明』で当ロケ地が桜新町と記載されていることを前提としながらも、「葬儀車は横浜の葬儀店から借りた。ロケ地は世田谷通りを砧公園の方へ行く道だったと思う」 とおっしゃっているという。この言を信じれば、当ロケ現場は〈世田谷通り沿いのNHK技研から砧公園方面に向かう道〉ということになるのだが、果たして真相やいかに?
(この項続く)

(註1)この両作の脚本を書いたのは、黒澤明と橋本忍に小国英雄を加えた黄金トリオ。
(註2〉村木与四郎氏は晩年まで、この消防署の裏手に住まわれていたが、昭和30年代前半の地図を見ると、撮影当時はまだ成城住まいではなかったようだ。

(註3)成城学園は、牛込にあった成城中学校の敷地内に作られた成城小学校・成城第二中学校を元にしており、そこから現在の場所に移転。したがって、世田谷区成城にある「成城学園中学校」と新宿区原町にある「成城中学校」は、まったく別の学校ということになる。

 


高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。

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