日本でのメディアミックスの先駆者は、西崎義展氏であり、角川春樹氏であったのだと思う。たしか、角川春樹氏がメディアミックスを始めたのは、1971年だったと記憶している。エリック・シーガルの未完の小説を原作として小説と映画が同時進行で作られた『ラブ・ストーリィ』の日本語版の版権を角川氏は安く手に入れ、日本でも映画がヒットした時、プロモーションを展開して成功した。日本語のタイトルは『ある愛の詩』である。原作と映画のメディアミックスの成功例としての先駆的な作品だった。フランシス・レイがアカデミー賞音楽賞を受賞した楽曲もアンディ・ウィリアムスが歌って大ヒットし、尾崎紀世彦もカバーしていたので、ご存じの方も多いだろう。余談ではあるが、77年にテレビで放送された時には、山口百恵と三浦友和が日本語吹替えをして話題になった。
その後、角川氏は76年の『犬神家の一族』から映画製作に乗り出し、テレビCMを中心とする大量宣伝により、既に過去の作家となっていた横溝正史ブームを仕掛けた。映画と書籍を同時に売り出すメディアミックス商法を日本で本格的に打ち出したというわけである。そして一連の角川映画ブームが起きることになる。
映画会社の宣伝部でもメディアミックスを意識した戦略を考えるようになってきた。東映では、この商法に大いに力を入れた。角川春樹氏と東映が提携するのは、77年公開の角川春樹事務所第2弾『人間の証明』からだ。
『人間の証明』は日活撮影所で撮影し、興行は東宝、配給は東映という組み合わせで映画界に新風を巻き起こした。角川氏は、その分野の一番強いところと組む人で、当時東映の配給網は最強だった。全国78都市、94劇場で一斉公開され、1か月で入場者数250万人、配収22億5千万円を記録した。〝読んでからみるか、みてから読むか〟のキャッチフレーズのもと、メディアミックスマーケティングを展開し、出版、テレビドラマ化などとの複合的効果を狙った立体宣伝作戦が当たった。東映洋画部と角川春樹事務所との提携が深まることになる。
北海道支社でも、札幌の地下街とのタイアップで〝七つの証明〟というキャッチフレーズを掲げ、〝愛情の証明〟だとか〝善意の証明〟だとか、なんだかわけのわからないことをやった。毎日、『人間の証明』の主な出演俳優たちが日替りでキャンペーンにやってきた。私は3週間毎日送り迎えの運転手を務めた。当時の、実は映画が嫌いだと嘯いていた宣伝課長のアイデアで、これが大当たりして、多くの観客を動員することに成功する。抽選会もあり、1等の景品は海外旅行だった。宣伝課長は一躍脚光を浴びることになり、その後本社に招かれることになった。本社での最初の仕事が、ディズニー作品+5本立ての東映まんが祭りで、これも成功させた。映画に感情移入がないことで客観的な判断によりキャンペーンを成功させることができたのかもしれない。